人生で2回命を救えなかった

初の投稿で書く内容ではないことはわかっています。

でも、書き留めさせてください。私の覚悟を本気にさせるために。

私は2回命を救うことができませんでした。

1回目は27年前に私の実弟を、2回目は2週間前に姪っ子の旦那さんを。

姪っ子の旦那さんは、失踪後1週間経過しており、発見されてから本人とわかるまで時間がかかったようです。

二人とも「お金」というほぼ同じ理由で自ら命を断ちました。

27年前に弟を失ってから、私は二度と同じ悲劇は繰り返させないと決めていたのに、また救えなかった…

完全に私の力不足だと打ちのめされました。

姪っ子は元旦那方なので、昨年離婚してから疎遠になってしまっていました。

だから最近の状況はわからなかったから仕方がないと元旦那から言われました。(元旦那とは普通に連絡取れる仲です)

それでも、離れてしまっていたとしても、元親族。縁のあった人を救えなかったのは事実です。

姪っ子の旦那さんは亡くなった私の弟に雰囲気がよく似た、自分の主張をほとんどせず、争いを好まない、虫も殺さないタイプの人でした。

悪く言えば、自分がここで我慢していれば誰にも迷惑がかからないだろうと、笑顔で何もかも穏便に済ませる、自己犠牲型の人でした。

そのせいで自分の意見をうまく伝えられない上に要領が悪く、周りからは良いように扱われ、おそらく《彼ら》は精神的に追いやられてしまったのだろうと思います。

弟の時も姪っ子の旦那さんの時も遺書がなかったことから、積み重なったものが突然キャパオーバーになり、突発的に行動に出たものかと思います。

遺書がないということは、《彼ら》は誰にも怒りや憎しみ、後悔をぶつけることなくこの世を去っています。

最後の最後まで、自分を犠牲にすることで『穏便に済ませよう』としたのです。

京王線ジョーカー事件のように、『死にたいから』うまくいかない人生を悲観して刃を振り回すという凶行に出る人間もいるこの世の中で、《彼ら》は世の中を悪く言わず、自己犠牲を選んだのです。

悔しかったら、憎かったら、死ぬ覚悟ができていた《彼ら》も反撃することもできたはずです。

でも《彼ら》はそれを選ばなかった…

優しい人間が生きづらい世の中って、一体何なのでしょうか?

人類がこんなに増えているにも関わらず、「助けて」という声が届かない、言えないこの世界は、何のために存在しているのでしょうか?

その考えと同時に、自分に腹が立ちました。

何が「私の前から自殺者を出さない」だ?

何が「私の目の前にいる人たちをハッピーにしていく」だ?

私は自分自身のおごりに、力不足に、

「ふざけるな」

と、ここ1週間、ただただ自分に怒りをぶつけるだけでした。

元旦那のように、過去に縁のあった人とは価値観や思想が合わなくなっただけで離れてしまうこともあります。

でも離れてしまっても、その出会いがあったからたくさんの経験を得ることができたのも事実です。

だから、その出会いに感謝し、いつまでも幸せであってほしいと元旦那に対して願っているように、姪っ子たちにもそう願わなければならなかった…

私は完全に元親族の存在を忘れてしまっていた…

私は無力であったと思い知らされました。

そうやって1週間、後悔と喪失感の狭間に揺れ動く中で、新たな決意と覚悟ができました。

「できるだけ多くの『助けて』の声を拾う」

このことがきっと、この世界での私のテーマなのだと感じています。

私もかつて、二度この世から去ろうとしたことがあります。

しかし死ねなかった、というより、死なせてもらえなかったと言った方が正しいかもしれません。

寸前で、どういうわけかありえない方法で絶対邪魔が入るのです。

私はいろんな意識と突発的に繋がるという、変わった能力があります。

私は普通でいたいのに周りからは気持ち悪がられたので、この能力は昨年まで嫌いでした。

が、今思えばこの能力が私をこの世に留めたのだと思います。

離婚後左脳に溜まり切った思考がパッカーンと崩れて本当の自分が表に出てきたとき、この能力のおかげで地球の意識と繋がることができました。

私がどこから何のためにこの地球にやってきたのか?

なぜこの日本を、この家族を選んだのか?

地球と交わした約束は何だったのか?

など、生まれる前に地球と話したことを思い出しました。
まだこの世でやるべきことがあるから去れないということも。

そして、私と同じような約束を地球と交わした人たちがたくさんいることも…

この話は長くなるので、別記事で今後投稿していこうと思います。

とにかく、地球で起こるこの世界は自分の見たもの、感じたものが現実になる、ゲームの世界だということを知ってほしいです。

周りに流されないで…
誰かのせいにしないで…
自分の胸の奥にある心を感じて、身体の声を聞いてあげて…
全て自分が作り出した現実なんだと気づいて…

この世界中に人の目の数だけ、真実という名のマヤカシ・ニセモノがごまんとあります。

私の大切だった《彼ら》はそのエセ真実に惑わされた犠牲者です。

何が自分にとっての真実なのかを見極める力をつけることが、本当の意味で自分の身を守るということだと思います。

私は私のテーマに沿って活動し続けるため、このnoteを続けていこうと思います。

つらくなったら、苦しかったら、

「助けて」

と発信してください。

と言っても、言いづらい状況を作っているこの社会で言える人はほとんどいないでしょう。

それでも、声をあげてくれなければ誰にも届かないのです。

迷惑がかかるから…
一人でなんとか解決させるから…

一人で抱え込んだから、どんどんコトが大きくなって、取り返しがつかないことになるのです。

迷惑がかかると思わないでください。

私は人に迷惑をたくさんかけて、たくさん助けてもらった人間です。

だから、私は迷惑をかけた分助けたいと思っています。

私の人生経験が誰かのお役に立てるのであれば、ひとつでも多くの「助けて」を拾わせてください。

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