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『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー vol.3』「銀河の負け犬」に送る最大限の誠意


監督
ジェームズ・ガン
脚本
ジェームズ・ガン
原作
ダン・アブネット
アンディ・ランニング
『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』
製作
ケヴィン・ファイギ
出演者
クリス・プラット
ゾーイ・サルダナ
デイヴ・バウティスタ
カレン・ギラン
ポム・クレメンティエフ
ヴィン・ディーゼル
ブラッドリー・クーパー


 MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)第10作目にして、俗悪低予算B級映画(かつ権力に対する反骨的なヒーロー映画)を世に送り出してきたトロマ・エンターテイメント出身のジェームズ・ガンが監督した『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014)が世界に与えてきた熱気と勇猛さは言わずもがなであろう。僕もその一人である。
 豪華絢爛な銀河世界のビジュアル・「ノリ」だけとは一線を画す重要なストーリーテラーとしての70-80年代ポップミュージックの使用・愛すべき"「銀河の負け犬」キャラクター"たち。
 そのすべてが我々を楽しませるエンターテイメントとして『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を痛快無比な名作たらしめていた。

 本作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー vol.3』(以下『vol.3』と記載する)はその全てをシリーズニ作(『vol.2』については追って話そう)より引き継ぎつつ、最大限観客と近しい距離にまで至った(だからこそできる)"「銀河の負け犬」キャラクター"を見届ける完結作、として相応しいものになっている。

 ジェームズ・ガンがRolling Stones誌にて
「なぜ僕たちがスーパーマンやバットマン、アイアンマンを大好きなのかといえば、彼らが僕たちの心の中にいるような、素晴らしいキャラクターだからです。もしもそれがナンセンスな連中になったら、ひどく退屈なものになるでしょう。」と語るように、
 完結編としての本作『vol.3』は我々観客に「キャラクター・ビジネス」として安易に夢想するような範疇を超えて、「銀河の負け犬」たちの血の通った物語に変化を与え、誠意を持って見届けることに成功している(冒頭と結末において使われる、対比的なニ曲間の視点の入れ替わりが見事だ)。
ただ「負け犬」としてキャラクターに自己憐憫させるのではなく、「ありのまま」を肯定してみせる物語が完結編として素晴らしい。

 だがしかし、『vol.2』において顕著であった、"キャラクター主導によるストーリー・テリング"による弊害が本作でも同様に引き継いでしまっているのは擁護できない。
冗長なギャグシーン、キャラクター同士のオフビートな関係性によって生じる"敢えて"なストリーの梯子外し。
これらは「"彼ら"だから仕方ない」ととることもできるが、一般的な映画のストーリー・テリング的観点から受け取ると、やや鈍重に感じてしまうのもやむを得ない。
そして、現代スペースオペラ作品の代表格として宇宙船同士によるドッグファイトが無かった点もいただけない。


 だが、"豪華絢爛な銀河冒険物語"を一作目のバランスで繰り広げてくれたのも好ましいし、ポップミュージックの使い方もさすがだ。

僕は三部作完結編としてこれ以上ないほどうまくまとめ上げていると感じた。
 改めて『銀河の負け犬たち』=『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』に最大限の感謝と祝福を。



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