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好きなものを好きでいつづけるために

「ピアノを習いたい」と母に頼んだ日のことを今でも覚えている。

それは、4歳の時だった。

私には、2歳くらいの頃から仲良くしていた幼馴染の友達がいた。

ある日、その子の家に遊びに行った時、「ちょうちょ」の童謡をピアノで弾いて聴かせてくれた。

私はそれを見て、衝撃を受けた。
自分でメロディを奏でられたら、どれだけ楽しいんだろうと思った。

帰り道に、母にピアノを習いたいとお願いした。

それから何日かたっても、ピアノの話がなかなか出てこないので、もう一度母にお願いをしたら、「お父さんに言って」と言われた。

なのでそこにいた父に「ピアノやりたい」と言った。

「おおそうか」みたいな感じで、いいともダメとも言われなかった。

それからしばらく立って、またまた友達の家に遊びに行った時に、母に、「これからピアノの先生のところに行くよ」と言われた。

「これでピアノが弾けるようになる!」と、とてもワクワクしたのを覚えている。

ワクワクした気持ちと裏腹に、緊張して身体が動かなくなった。

最初のレッスンは、一言も声が出なかった。
先生に何か聞かれたら、首を縦に振るのが精一杯だった。

最初のレッスンの帰り道に、「次は『うん』って言おうね」って母に言われた。

2回目のレッスンでは、「うん」と言えたので、そのレッスンの帰り道では、「次は『はい』って言おうね」と言われた。

そんな感じで、ちょっとずつレッスンに慣れていった。

最初のころは、黒鍵をただ順番に鳴らすとかばかりで、なかなか曲を弾かせてもらえなかった。

ピアノを習い始めたら、すぐに弾けるようになると思っていた私は、ちょっとがっかりした。

それでも、着実に上手くなっていき、小学校に上がるとコンクールに出るようになった。どんどん難しい曲が弾けるようになって、嬉しかった。

小学6年生の時に弾いたショパンの『幻想即興曲』はショパン国際コンクール in Asiaの日本大会でトップ10入りし、アジア大会で入賞する結果を出した。

・・

中学2年生のときに、ピアノを辞めることになった。そのときにはもう、ピアノの楽しさがすっかり分からなくなっていた。練習不足で、レッスンに行くたびに怒られていた。

最後の舞台は、ショパンの『バラード一番』だった。一曲で15ページもあり、左右の手がひたすらあちこちに飛ぶ難曲だった。

まともに練習していなかったので、本番1週間前に、ようやく最後まで弾けるようになった。
譜面は覚えられなかったので、本番にも関わらず先生に譜めくりをしてもらった。

あまりにめちゃくちゃな演奏だった。めちゃくちゃすぎて、その曲を知らない人にはそういう曲だと思われただろう。なんとか最後まで弾き終えた頃には、意識が朦朧としていた。

観客に向かってお辞儀をして、舞台袖に入った瞬間に、膝から崩れ落ちて号泣した。

これでもう辞められるという安心感と、最後までやり切れなかった情けなさで、よくわからない気持ちだった。

好きなものを好きでい続けることって意外とむずかしい。

今でも、クラシック音楽を聴くと胸が苦しくなる。最初の頃のワクワクした気持ちよりも、苦しい思い出の方が先に思い浮かんでくる。

何かができるようになりたいと思って努力しても、ようやくできるようになった頃には、もう好きという気持ちがなくなってしまう。

短期間で成果を出すことよりも、好きという気持ちを失わずに好きなことを継続できるということが、なにより大事だということに気がついた。

続けていれば、続けることさえできれば、ちゃんと自分の身体の一部になっていく。

短期的な継続よりも、長期的な継続を優先する。

好きなものを好きなままで、どうすれば続けられるんだろう。

これについては私のなかで。一つの答えが出ている。

「飽きた」と思う前にやめたほうがいいということだ。

私はコンクールで結果を出すために、1日中家にこもってピアノを弾き続けていた。正直しんどかったし、「もうこの曲飽きたな」といつも思っていた。それでも結果を出すことにとらわれていた私は、心を押し殺して弾き続けた。

「飽きた」と感じているのにやり続けると、「好き」が身体から離れていく。

それは短期的な結果には繋がっても、長期的に見るとマイナスになると私は思う。

飽きが来るギリギリのところでやめること。明日また再開するのが楽しみだと思えるくらいの余裕を持ってやっていくこと。

「好き」という気持ちは、意外と脆い。
それが分かった今だからこそ、好きなものにときめく気持ちを全力で守っていきたい。

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