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床を滑らせる不思議な男がいた。

あなたの学校には、七不思議が存在しただろうか?

2階の奥のトイレに花子さんがいるとか、階段が夜になると増えるとかそういうやつ。

僕の学校には、正確には僕のクラスには、そんな七不思議が滑稽に見えるほどに不思議な男がいた。

今日は彼の話を書き残したいと思う。

彼の記憶。

彼は苗字の後ろに「パイ」という謎の言葉をつけたあだ名で呼ばれていた。わかりづらいが本名を出すわけには行かないので、ここでは「モリパイ」とでもしておこう。本当はモリではなく彼の本当の苗字の一部が入る。

中学で同じ部活になった奴が序盤につけたあだ名らしいが、中高一貫だったため6年間モリパイと呼ばれていた。

小学校でもモリパイと呼ばれていたらしい。ここがもうおかしいのだ。

小学校と中学校でモリパイには共通している知人がいないらしい。そこで一度、人間関係がリセットされていることになる。にもかかわらず、「モリパイ」というあだ名だけが引き継がれたのだ。

「モリ」の部分は本名に関係しているので理解できる。問題は「パイ」だ。あなたが誰かにニックネームをつけることになった時、苗字+パイの組み合わせを真っ先に思いつくだろうか?僕は最後まで思いつかない。

しかも一度ならず二度、関係ない人が彼に「パイ」をつけたのである。

彼には人に「モリパイ」と呼ばせる何かがあるのかもしれない。

彼のいた場所だけが…

「モリパイ」に関する話だけでも十分に謎だが、彼が不思議たる所以はあだ名ではない。

彼の座席の下だけが、ワックスかけたてのフローリングのように滑るのだ。

ある日の放課後、掃除のために机が全て下げられた状態の教室で思いっきり滑って転んだ。そう、彼である。

いたずらかと思うほどに、その床はツルツルだった。その場所で滑るクラスメイトもちょくちょく目撃した。文字だと伝わりづらいが本当にツルツルだったのだ。

2ヶ月ほどで訪れる席替えの直前には彼の座席だった場所のツルツルが最高潮になる。席がシャッフルされ、ツルツルの場所は違う生徒の席になる。逆に、滑らない床が彼に与えられる。

すると、ツルツルだった元の座席はだんだんと滑らなくなり、彼の座席の床がどんどんツルツルになっていくのだ。

噂はだんだん広がり、隣のクラスの女子がわざわざ滑りに来るほど彼の席は人気になっていた。もはやゲレンデだ。

しかも、滑るとわかっているにもかかわらず、その滑りが想定を越えるために転んでしまうのだ。それほどまでに、彼の席はツルツルだった。

いったいなぜなのか。理由は全くわからない。

毎日靴にワックスがけをしているとか、実は実家がラーメン屋や中華料理屋でその油を靴が吸収していたとか、一度彼が美術の授業で使う油絵の油を床にこぼしたことがあったから、その油の呪いだとか、いろんな説が唱えられてきたが、どれが本当かはわからない。いや、わからなくていい。

心を踊らせてくれた謎こそが、モリパイのモリパイたる所以なのである。

人々の記憶から消えゆく彼の記憶。

モリパイは、最高の男だった。今回もこんな文章を書いたが、もちろん馬鹿にしていたわけではない。嫌がらせをしてくる人もいるクラスの中で、むしろめちゃくちゃ良い奴だと思っていた。だからこそ今元気にしてるかな?とか考えたりもするし、元気にしていて欲しいなと思う。

しかし一方で、モリパイのことを忘れゆく人もいる。

高校の友達にモリパイの話をすると、もはや懐かしい人扱いされることが多いし、「よくそんなこと覚えてるね」みたいな反応がほとんどである。

むしろなぜみんなは忘れてしまったのだ。あの滑る床に、たまに彼がつぶやく名言に、心躍らせた時代があったじゃないか。あった、はずだよな?

今でもよく会う高校の友達に彼の話をすると「もう誰も覚えてないぞ」と諭される。モリパイのことを口に出す人間はもう僕しかいないのか?

モリパイが皆の脳内に存在しないとしたら、僕の記憶にしかいない彼は、本当に存在していたのか?

もしかして、モリパイなんて人間は存在しなかったのではないか?

想像上の冒険譚「モリパイ」を僕の中で創作し、信じ込んでいるだけなのか?

だんだんと彼の実在証明が薄くなっていく。実在したのか、幻だったのか、境界線が曖昧になっていく。

でも僕は、彼が存在したしたことを信じている。まだ信じられるうちに、文章として残しておかなければいけなかった。

彼はきっと存在している。今もどこかで、元気に床を滑らせている。

みんなが彼を忘れてしまっても、僕だけはそれを信じ続けたい。

(おわり)

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