見出し画像

「子供」という存在が苦手な訳。


初めての方は はじめまして。前回の記事を読んでくださった方は(本当に)お久しぶりです。ちゃる。です。
しばらく更新する気力も起きず、期間が空いてしまいました・・・。
でも、このnoteは思ったことを思った時に書くくらい気ままに続けていくつもりなので、これから先もこんな感じです。笑
気の向いた時になんとなく見てもらえればと思います。笑

新型コロナウイルスで世界が様変わりした気がする今現在。
大学もオンライン授業になり、バイトも無くなり、研究室にも行けなくなり
「普段やっていたこと」が変わっていく生活を送っています。
アコースティックギターを買ってFコードに挫折しそうになったり
(↑エレキギターでも同じことを繰り返した前科者)
お菓子作りやハンドメイドをしてみたり・・・etc.

普段の忙しい日々を過ごしている時に
(あ〜、家に引きこもって、休んで、〇〇したい!)
と思っていたことを やれるチャンスなのに
いざその状況になると「ないものねだり」。
私ってワガママな人間だなと思う今日この頃です。

 さて、近況報告が長くなりましたが、今回は『「子供」という存在が苦手な訳。』です。自分もつい最近まで子供だったくせに。人生で捉えたら自分はまだまだ子供なのに。

自分よりも年下という存在が怖い

  今回の中で言う「子供」は「私自身よりも年下の存在」ということです。
 「親戚の子」「友達の弟・妹」「後輩」など。私は年下の存在が苦手です。
  これには 育ってきた環境が大きく関係していると思います。
  私は生粋の一人っ子です(詳細なプロフィールは「2020年現在時点での私という人間。」というnoteをご覧ください)。
 幼い頃から私の周りには「大人」しかいませんでした。両親をはじめ、親戚はみんな年上。さらに、私は幼稚園に年中から入園しています。その前までは「めばえ教室」という幼児教室に通っていました。そこでも年上か同い年の子しかいなかった記憶があります。
  そう、私の育ってきた環境には極端に年下の子が少なかったのです。
  この環境が今の「年下の存在が怖い」という感覚を形成していると思います。
 「接し方が分からない」=「恐怖」なんだと思います。

赤ちゃんの泣き声に胸が苦しくなる

  私のバイト先には幅広い年齢層の方がやってきます。特に小中高生が多いのですが、この年代の子達は割と普通に接することができている・・・と思います。(多分、笑顔は引きつっている、ごめんなさい。笑)
  苦手なのが「0〜5歳くらいの子」です。
  何を言っているのか分からない時に「ん?どうした?」と優しく聞くことができない。そして理解することができない。これは、普通の人以上だと思います。
「こういうこと?」と私が聞いたことは十中八九間違っています。こうなってくると私にとって相手の存在は宇宙人と化します。
 「相手が何を考えているのか、何を伝えようとしているのか」を理解できない。これが私の中で「理解してあげられない歯痒さ」→「理解できない焦り」→「理解できない申し訳なさ」→「恐怖」と変換されていきます。
  そして一番苦手なのが「赤ちゃんの泣き声」です。
  「赤ちゃんは泣くことが仕事」とよく言われ、電車やバスの中での泣き声を「うるさい」と思う人は一定数いるようなのですが、私のように泣き声に恐怖を感じている人は果たして何人いるでしょうか。
 なんで泣いているのか分からない。赤ちゃんにとって意味もそこまで含まれていない泣き声。この世に生まれてしまった悲しみを叫んでいるのかもしれない。私のこの荒切った心を見透かして泣き叫んでいるのかもしれない。泣き声に迷惑している人もいるけど泣き止ませられない母親の焦りも感じて恐怖に拍車がかかる。
 胸が苦しくなり、呼吸が浅くなってしまいます。

私は一生「母親」という存在にはなれないなと思う

 「自分の子供だったら可愛いよ」
 私が子供が苦手だと話すと結構な確率で言われるアドバイス(?)です。
 でも私は一生「母親」という存在になれる気がしません。これにも育った環境が大きく関わってる気がします。
 私の母親は今でこそ優しいのですが、幼い頃はかなり厳しかったです。さらに、これは今も変わらずなのですが、感情の起伏が激しく、ヒステリックも起こす人です。そんな母親は私にとって「恐怖の存在」でした。
  1度何かで母親の逆鱗に触れるとドミノ倒し状態で全てのことで叱られました。殴る、蹴る、物を投げつける、物を捨てるは当たり前。ひどい時は髪の毛を引っ張って廊下を引き摺り回し、玄関の外に出され、しばらく外に出されたりしました。
 「友達と遊びに行ってくる」この言葉を母親に言うと決まって機嫌が悪くなりました。露骨に殴ってきたりなどはしないのですが、不機嫌になる。怖くて怖くてたまりませんでした。
  幼い頃に歪んだ教育しかされてこなかった私が、自分の子供にするのもまた歪んだ教育だとしか思えないのです。
  「褒める」というやり方が分からない。親に褒められるという経験が極端に少ないので、これを自分でいざやろうとしても、やり方が分からず、上っ面だけの言葉や態度になる。
  育てられる訳が無い。そもそも私のもとに生まれてきた子が可愛そうで仕方がない。
  この気持ちが変わらない限り、「子供」という存在は一生作らないと思います。

自分がいないと生存が危機的状況になる存在

 私は漫画家の浅野いにおさんの大ファンです。その浅野いにおさんの再婚されたお相手、同じく漫画家の鳥飼茜さんが浅野いにおさんのエッセイの中で登場し、独特の環境で子育てをしていると思いました。
 鳥飼茜さんについて調べていると、とあるインタビューでこんなことを仰っていました。

「本当に私は、自信を持って母性がない。か弱き者に対する絶対的な愛情の注ぎ方がわからないというか。自分がいないと生存が危機的状況になる存在が怖い。(中略)息子をかわいいと思いたいのに心の底から思えないことに葛藤もあったし、できない自分にものすごい焦燥感がありました。」
https://www.huffingtonpost.jp/entry/akane-torikai_jp_5cc41da4e4b0fd8e35bca736

 この記事を読んだ時に深い共感を覚えました。
(あ、私も「自分がいないと生存が危機的状況になる存在が怖い」んだ。)と。
 

一人っ子だから、両親が死んだら自分一人で生きていかなくてはならない。
周りの人たちも自分のことで精一杯で誰かのことを助ける余裕はない。
自分1人で生きていかなくちゃ。
この意識が人一倍強く、幼い頃から年上の人から一人で生きていく術を学ぶことに徹して生きてきた。
年下の子に「教える」という行為を極端に経験しないで生きてきた。
だって自分の一人で生きていく術は本当に正しいのか私も分からないから。
間違ったことを教えてしまうのは、あまりにも無責任だと思うから。
怖い。お願いだから、私なんかに頼らないで欲しい。
私だって自分が生きるのに精一杯なのだから。


 これが私の『「子供」という存在が苦手な訳』なんだと思います。
 もっと考えれば、他の理由もあるのかもしれませんが、今現在の私はこれが答えかなと思ってます。

まとまりがない文章でごめんなさい・・・。

今回はここまで!
またお目にかかる日まで!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?