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”頑張れ”は愛情がないと言えない

2013年の4月、母親が運転する車に揺られながら、僕は学校に向かっていた。この春から通う高校には、車なら実家から山を越えて行かなければならない。普段は電車で1時間かけて向かうところ、この日は祖母の用事があったので3人で車に乗っていた。普通なら、高校が始まってすぐは楽しいことがいっぱいで、学校に向かう足取りは軽いはずだが、僕は憂鬱だった。部活で選んだ高校で、入学前は今まで以上に部活に打ち込めると期待していた。

だが実際に入学すると、上下関係が厳しく、いわゆる昔の体育会系の雰囲気だった。とにかく先輩が怖くて、ミスして怒られ、怒られるのが怖くてそれがまたミスに繋がっての繰り返しだった。
 

「頑張ろうね」

母の言葉に見送られながら、僕は返事をせずに学校に向かった。胃袋くらいに蠢いている嫌な気持ちに足首を掴まれないよう、体育館に続く坂へ足をあげるのに精一杯だった。



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2021年の教育は8年前と比べて幾らか変わってきたように思う。理不尽に耐えることが正しい価値観は変えられたし、メンタルヘルスに対する理解も深まってきた。あらゆる”らしさ”に縛られる必要もない。本質は変わってなくても、口先では個性または多様性を認める時代になったのだ。

すでに頑張っている人に対しての「頑張れ」はプレッシャーをかけるかもしれない。「頑張れ」ではなく「一緒に頑張ろう」や「頑張らなくてもいいんだよ」が正解だと思う人も多いだろう。

しかし、人生において必ず頑張らなくてはいけないタイミングがある。今になってわかったことだけど、僕にとって高校は頑張らないといけないタイミングだった。
大学で悩んでいたときは他の道を提示してくれた。そのときに必要なアドバイスをしてくれていたと今になって気づく。

ここまで経験してようやく僕は「頑張れ」は愛情がないと言えないことを知った。よく考えてみれば当たり前で、全然関係ない人に頑張れとわざわざ言わない。思っていても直接伝える人はどれくらいいるだろうか。
冷たく聞こえるかもしれないけど、僕はよほど感情の湧く人じゃないと直接は伝えない。 

それに「頑張れ」は、今以上に結果が出るように頑張れという意味ではなく、結果が悪くたって頑張っているあなたが好きだよ、という意味だと思う。

結局は何が言いたいかっていうと、母は偉大だということ。




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