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Dr.ハインリッヒの漫才感想〜『トンネルを抜けると』を中心に〜

「トンネルを抜けると、そこにはめっちゃデブのイワシがチャーハン食べてたわ」
「え、どれくらいのデブ?」    
———— 漫才『トンネルを抜けると』

嘘をつくことが基本的に良しとされない世の中だが、どういうわけか創作の世界でだけは嘘が積極的に受け入れられている。

しかし、漫才という分野における嘘は取り扱いが難しく、M-1グランプリの審査コメントなどを見ていると、語り手の人間性が見えない漫才は減点にはならずとも決して加点対象にはならない。素人ながらに、主流の漫才を作るには自分の人間性に沿った発言の範囲で笑いどころを作る力が必要なのだろうと考えている。

そんな漫才という創作の中では少し嘘をつくのに勇気がいる分野において、堂々と大ボラを吹きまくっている(というととても聞こえが悪いが)のが、Dr.ハインリッヒである。彼女らの作る漫才はどれもファンタジーで異世界で奇妙で独特な世界観を持っていて、女性双子漫才師という稀有な特徴が霞むほど”強い”ネタは初めて見た時軽いカルチャーショックを覚えるほどだった。「色見本」「アナーキー」など聞き慣れないワードが並んだかと思えば哲学的なメッセージが呼びかけられるネタの数々は、ネタというより「作品」と呼ぶのにふさわしいのかもしれない。

『トンネルを抜けると』の中では、観客はほぼ球体のイワシが道端でチャーハンをポロポロ食べ、硬い尾ひれでコンクリートを割ったかと思えばそこからひまわりが突き上げるように生えてくる情景を想像させられる。今書いていても全く意味が分からないが、この不可思議な世界の情景描写を一方が他方に語るという手法は彼女らの十八番で、他のネタでは足の生えたやかんであったり車輪のついた観葉植物であったり犬みたいなみょうがだったりと、クセの強い登場キャラクター達はなぜか皆とても興味をそそられる。それはもしかしたら皆が何かしらの意思やゴールを持っていて、その理由や背景をどうにか理解したくなるからなのかもしれない。ただ、どう考えてみても不条理な想像の中の光景は、映像で例えればAC部の作品のようなズレ・違和感。そこにたっぷりの品が加わっている。

『トンネルを抜けると』に関しては、カオスな世界観に加えてもう1つの仕掛けがある。序盤でやった1、2分のやりとりと全く同じものが後半で再び繰り返されるのだ。長尺で同じやりとりを聞かされると、聞かされた方はえ、これって私が間違ってるのか?とじわじわ不安に襲われる。このやり口は『四畳半神話体系』など小説では何回か遭遇したことがあるが、漫才でやっているのは初めて見た。言葉ではなく構造で笑いを取るというのはどちらかといえばコントに近いようで、これをやり切る演技力もきっと物凄い。

お笑いという分野だから演じる本人の人間性が問われるものの、お笑いという分野だからこそ過程でどれだけ楽しめるかが大事で、オチが多少雑だったり伏線が必ずしも回収されていなくても大丈夫という面もあるのかもしれない。ミルクボーイのネタでオカンが忘れたものの答えはいつも出ないように、例えそれが完全なホラ話だとしてもあったら素敵だなと思わせる世界を描いて見せたら勝ちな話芸は、ある意味で最も新しいことに挑戦しやすい分野だったのかとも思う。そもそもお笑いを見終わった後に何かが残っている必要はないけれど、他のコンビでは味わえない満足感と余韻を残すDr.ハインリッヒの作品をもっともっとたくさん見届けていきたいと思った。

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