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ワーママ1年目に翻訳学校に通った話

ワーキングマザーにも、会社員にも、母にも妻にもなりたくなかった。

自己肯定感ダダ下がり、会社で頑張ることに疲れてしまった、そんな自分が居場所を見つけられたのが翻訳学校でした。


長男が1歳になり保育園に通いだし、私も仕事に復職した。

かわいいかわいい我が子と離れるのが嫌で、育休中は仕事なんてやめてしまいたい!専業主婦になりたい!なんて思って涙を流した日もあったことを思い出す。

しかし我が家は経済的にも共働きは必須なので、復職する以外の選択肢はない。

復職前は「時短勤務させてもらってゆるゆる働こう」って思っていた。

でもやっぱり毎日働いていると、頑張りたくなってしまう気持ちもあって。

それでも時短勤務で働く母、残業できない、出張できない(国内は日帰りでギリ行けても海外はまだキツイ)、海外との時差の関係で行われる夜遅い/朝早い会議出られない、行ける飲み会限られる、そんな制限の中働く日々。

やりたい気持ちと、プライベートでの制限と、任される仕事の間でモヤモヤしていた。

またこの辺の詳細、気持ちの葛藤は別の記事で書いてみようと思うけれど、復職後しばらく働いて私が感じたことは、「想像していた以上に戦力として求められていない」ということ。 


復職2回経験している今の私が当時の私にアドバイスできるならば、

「復職1年目だしそんな焦るなよ。復職2回目のときだって、復職1年目はかなり暇だったしあまり仕事も任せてもらえなかったけど、2年目3年目と過ごしていくとやっぱりできることも増えてくるよ。」

と伝えたい。


でもその当時、仕事場での色んなアンラッキーが重なって、もう私はかなり追い込まれてしまっていた。

「私はここにいても意味がない。会社での存在意義がない。誰も必要としてない。」という感じで。

会社には同じ境遇で働いているような相談できるワーママもいなかったし(最近は大分増えてきた)、私は周りの友人より少し早めに出産したこともあり、学生時代までの友人たちは当時まだみんなバリバリ働いていたこともあり、そんな友人たちとも比べてしまい、ひとりで抱え込んでしまった。


そしてそのとき私が思い立ったことは2つ。

「2人目を作ろう」そして「翻訳学校に行こう」ということ。

2人目の子どもは欲しいなと思ってはいたけれど、タイミングについては悩んでいて。

年齢が近ければ私が歳の近い弟がいたように兄弟同士遊べて楽しそうだなという気持ちと、でも一度復職して数年仕事をして少しキャリアの様子を見てからにしようという気持ちがあって、急がなくてもいいかな、なんて思っていた。

でも復職して感じたのは、大げさだけど「この会社での私のキャリアは終わったんだな」ということ。

会社でのキャリアはないんだからいつ2人目作っても一緒、なら早く作ろう。早く育休に戻りたい…という気持ちでいっぱいだった。


そしてもうひとつの翻訳学校へ行くこと。しかも仕事後に通学で。

ほ、翻訳学校?!またなぜこのタイミング?!と思われるかもしれない。

正直とにかく逃げたかった。

会社ではダメダメ、期待もされず、重要な仕事は任されもしないマミートラックに入ってしまった私でも、戦えるフィールドにいるという実感が欲しかった。

誰かに認めてもらったり、自分レベルアップしていることを感じる場所が欲しかった。

ワーキングマザーでも会社員でも妻でも母でもない、自分でいられる居場所が欲しかった。


それに加えて、今の会社でのキャリアを投げ出したい思いがあったから、ずっと興味のあった翻訳を仕事につなげたい!と思い、一歩踏み出してみることにした。


週1回2時間くらいだったかな、6か月の通学コースで、費用は20万円くらいだったと思う。まだ子どもも一人だったし、時短勤務とはいえ今より勤務時間も長く頑張っていたので経済的にはなんとかなった。

私が翻訳学校に通う日にはファミリーサポートのシッターさんと夫に子どもをみていてもらい、週1回半年間、仕事後に通学をすることになった。


クラスメイトは年齢もバックグラウンドも様々。

10代から60代までいるし、属性も学生、専業主婦、会社員、自営業、リタイア生活の方など。

みなさん公表しているわけではないんだけど、クラス内での発言内容や雑談からちょこちょこバッググラウンドが見えてくる。

私は「会社員です」位のことしか言ってなかったと思う。あえて「子どもがいます」ということも言わなかった。


毎週の翻訳学校、それはそれは本当に楽しくて充実していた。

誰からも私が働く母だからと気を遣われることもなく、同じ内容の授業を受け、同じ内容の課題を出され、このクラスにいるレベル程度のクオリティのアウトプットも期待される。


そしてちょっと自慢させてほしい。

私このクラスでなかなか成績が良かった。課題の回答を模範解答として読み上げられることもよくあったし、先生に授業中「ここ、ちゃみさんだったらどう訳す?」と指名されることも多かった。

私もちょっと調子に乗り積極的に自分から発言もするようにもなった。

大好きな英語に触れ、翻訳のテクニックを学び、スキル向上し、講師から認められていることを日々実感できることの喜びは想像以上。毎週授業を心待ちにして、課題も睡眠時間を削って取り組んだ。

本当に楽しかった。

会社で不甲斐ない思いをしても、翻訳学校があるから…楽しみがあるから…頑張ろう!と思えた。


クラスメイトとの適度な距離感も丁度よかった。グループワークの時に少しお話はするし、お互いの翻訳を添削し合ったりコメントし合ったりすることはあった。

でもそれ以上でもそれ以下でもなく。変に「この後ちょっと飲みに行こう~」みたいなノリがあったり、「勉強会しましょう」みたいのもなくてありがたかった。私はそういうの求めてなかったから。

当時2人目を妊娠していて、だんだん大きくなるお腹を隠して通っていたけど、誰にも気づかれず最後にお知らせしたら驚かれた、それくらいのゆるい距離感が心地よかった。


そんなこんなで半年間の翻訳初級のコースを無事修了し、中級コース進級への推薦も講師から頂いた。

でも翻訳学校に通い始めてすぐ、希望していた2人目の妊娠が発覚。

半年間のコースを終了する頃には妊娠後期に入り、次のセメスターに続けて進級すると出産がかぶってしまい難しかったから、次回セメスターはお休みにさせてもらった。

次の半年のセメスターが終わる頃には、赤ちゃんは生後3ヶ月頃になっているだろうから、その次のセメスターには中級クラスに戻ってこよう!

なんて思っていたけど、やっぱり2人兄弟ワンオペ子育ては甘いもんじゃなく、産後半年くらいは私も体調を崩しまくったし自分のキャリアについて考える余裕もなかった。


実は翻訳学校に通った後、産休育休中に翻訳を少しだけでもお仕事にできたらな…と2人目の産休に入ってからすぐ出産前まで翻訳会社のトライアルに何社か挑戦もした。

育休中に会社員以外のキャリアとして翻訳者、なんて道がうっすら見えたらいいな、なんて思っていた。

翻訳会社にはトライアル課題を提出したけどすべて不合格。翻訳学校の初級コースではなかなか優秀だったはずの私も翻訳の仕事を受注するには力不足のようだ。現実はこんなもん。


でも初めてのワーママ生活で、疲弊しながら生活を回し、本業では認められない、必要とされていない感をひしひしと感じ、自己肯定感がダダ下がりだった私に、再びモチベーションと自信を与えてくれたあの翻訳学校での半年間を絶対忘れない。

あのとき、私に居場所を与えてくれて本当に感謝している。


2人目出産後はしばらく翻訳から遠ざかってしまっていた。

でもその後コロナになって、これからの生き方とかキャリアについてしっかり考えてみたときに、私の中で「翻訳」が再浮上した。

やっぱり翻訳を仕事にしてみたい。

翻訳学校に通ってから3年ほどブランクが開いてしまったけど、また私なりに翻訳に取り組んでいる。

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