人は思い通りにならないと気が済まない生き物だ
と、いうテーマです。
最近読んだ本(確か森達也の「A」シリーズのどれか)に書かれていた一説で、最近は延々このテーマで考察しておりました。
「思い通りにならないと気が済まない」
をもう少し詳しく解説すると
「意識と現実がかけ離れている状態が落ち着かない」
ということらしい。
なので、意識と現実をどうにかして常に擦り合わせてその不快感を解消しながら人は生きている。
ということだと。
思い通りにならないと気が済まない。
これは性格の良し悪しとかではなく誰もがそうだ。
この擦り合わせをやらないで耐える事は意外と出来ない笑
例えば、嫌いな人がいる。
自分は嫌な奴だと思ってるのに、その相手は評判が良い。自分にも何も嫌なことをしてこない。
それはそれは気に入らない笑
これは「嫌い、嫌な奴」という意識に対して現実では違う、という落差への不快感。
その場合人はどう動くかというと
①嫌なところを血眼になって探す。もしくは過去の悪行を掘り返して「こんな嫌な奴なんだ」と思い込む。
②何もしてこないし今は嫌な奴じゃない、という状況を受け入れて嫌うのをやめる。
①は現実を意識にあわせようとしていて、②は意識を現実に合わせている。
現実を見てるのは②。
でも、①にも陥りやすい。
かなり陥りやすい。
嫌いだ!っていう気持ちはなかなか変えられない。
それがもう何年も前の話でも過去の悪行にしがみついてしまう。
他にも
「彼氏がDVだけど私は愛されてると信じたい」なども
①楽しい思い出や良いところを探してフォーカスし、信じて一緒にいる
②ありえん。とっとと別れる
で、意識と現実を擦り合わせる。
やってる事は真逆なんだけど、「意識と現実を擦り合わせる」という行為は一緒なのだなと。
疑うこと、信じること
自分が起こす選択、行動。
意識と現実、どちらに擦り合わせた行動なのかな?というのを意識しながら動いてみると、今までよりも見える世界や行動が変わるかもしれない。
ちなみにこの事が書いてあったのは「日本人の危機管理意識」についての話の中だった。
「あの国は危険だ」
「あの集団は危険だ」
「あの手のタイプの奴は警戒したほうがいい」
などなどの意識が刷り込まれてしまうと、何もされてなくても、何も起きてなくても血眼になって相手や相手国の危険な情報ばかりを求めてしまうようになる。
不確かな情報で「仮想敵」を作り上げてしまう。
そして、危険物扱いする。
危険物に誠実な態度など取らない。
外交も交渉も要らない。
約束なんて守らなくてヨシ
雑で不誠実な扱いになってゆく
排除しようと牙を剥く。
差別や迫害も起こる。
そんな扱いされた方はまあカチンと来るわな。
国だったらギッスギスになり平和は遠のく。
などと。
まあ、しっかり見て行きたいですな。
うん。
とりあえず、普段の自分の身近な人間関係にも役立ちそうなので「意識と現実の見直し」をやってみようかと思います。
好き嫌いが大きく逆転したりもするかも?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?