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「私とHIV(4/4) ~HIV感染症との歩みをふりかえって~」(最終回)

CHARM理事長 松浦基夫


●1993年-2020年 堺病院のHIV診療

1993年から2019年12月までの27年間に堺病院で診療したHIV陽性者は264名、約半数は南大阪一円の医療機関から紹介されたもの、約3割は保健センターやHIV専門検査所での自発的検査で陽性が判明して紹介されたもので、いずれも堺病院がエイズ診療拠点病院だから紹介されたものである。一方、約2割は当院でHIV検査をおこなって陽性が判明したものであるが、これらの陽性者は堺病院が拠点病院だから受診した訳ではない。発熱や呼吸困難といった主訴で受診し、精査の過程でHIV陽性が判明したものである。

2019年12月末に堺病院に通院中のHIV陽性者は174名、そのほとんどは1日1回1錠の抗ウイルス剤の合剤にて血中ウイルス量 (HIV-RNA) は未検出または20 copies/ml 未満となっており、概ね3ヵ月に1回通院している。これらのHIV陽性者は生涯AIDSを発症することなく天寿を全うすることが期待でき、他の人に感染させる可能性はないことが明らかとなっている。私がHIV感染症診療をはじめた1993年には、抗ウイルス剤といえばAZT(レトロビル)とddI(ヴァイデックス)の2種類で、治療の選択はAZTかddIか両方かの3通りしかなく、その効果も限られたものであったことを考えると、隔世の感がある。

適切な抗ウイルス剤が処方されているにもかかわらずウイルス量が十分に抑制されないものも3~4名いるが、ウイルス量が多いといってもHIV-RNAは1000 copies/ml未満にとどまっている。さらに高ウイルス量の陽性者は、初診の直後や治療中断後で抗ウイルス治療がまだ始まっていないか始まって間もない陽性者である。

残りの90名の転帰は、他の医療機関への転医49名(大多数は転居による)、帰国9名、収監1名、死亡25名、不明(いわゆるdrop out)6名となっている。死亡25名中AIDS関連疾患による死亡12名、HIVとは直接関係のない疾患による死亡7名、事故など病院外死亡4名、自死2名となっている。drop outした6名の内2名は、2020年になってニューモシスティス肺炎を発症して入院した。

女性は12名、その内1人の女性は抗ウイルス剤を内服しながら妊娠・出産し、児はHIV陰性であった。また、外国人ではブラジル人5名・タイ人2名・ネパール人2名・中国人2名・ベトナム人2名・ロシア人1名・ナイジェリア人1名・ラオス人1名・フィリピン人1名の計17名が受診した。通訳が必要な場合にはCHARMに医療通訳の派遣を依頼した。

27年間の中で、最も思い出深いのは、2000年の東南アジア国籍のHIV陽性女性である。原因不明の発熱が続いて免疫不全が疑われ、南大阪の病院から当院に紹介されて入院した。いわゆるオーバーステイの状態であった。青木さんの紹介で通訳をしてくれるシスターに何度も来ていただいた。日本人男性との結婚の手続きや、入管への出頭などの面倒をみていただき、最終的には在留特別許可を得て身障も認定され、日本での継続した療養が可能となった。在留資格のない外国籍のHIV陽性者が、どのような困難に直面するのか知ることになった。

●2020年 中村クリニックでのHIV外来

2017年~2019年度、CHARMは厚労科研として「HIV陽性者の地方コミュニティーでの受け入れに関する研究」を引き受けていた。その一環として、HIV感染症診療をおこなっているクリニックを訪問してインタビューするという取り組みがあった。私は広島の「おだクリニック」で土曜日にHIV外来をしている高田昇先生と、大阪市福島区でMSM向けのHIV検査を引き受けていただいている「中村クリニック」の中村幸生先生へのインタビューを担当した。広島では、既存のクリニックで土曜日だけのHIV外来が可能であることがわかった。中村クリニックでは、訪問診療を中心に診療しておられ、外来はほとんど空いていたので「この外来はもったいないですね、土曜日、HIVの外来に使わせてもらえませんか?」と言ってみたところ、「どうぞ使って下さい」との返事。2020年3月に堺病院を定年退職した後、何らかの形でHIV陽性者の役に立つ診療ができないかと考えていた私は、たちまち中村クリニックでのHIV外来を行おうと考えた。自立支援医療指定医療機関の指定に少し時間がかかったが、クリニックのスタッフに加え、旧知の看護師とMSWの協力を得て、土曜日HIV外来が実現した。

●おわりに

「堺病院のような市民病院でもHIV感染症診療ができる」あるいは「大病院よりも、各科の協力の下に機動的な診療ができる中規模病院でこそ、よりよいHIV感染症診療ができる」ことを証明したいという気持ちがあった。実際に、文字通り全ての診療科でHIV陽性だからという理由で診療を断られたことは思い出せない。榎本てる子・青木理恵子の両氏には派遣カウンセラーとして来院いただき、困難なカウンセリングを引き受けていただいた。病院の多くのスタッフがHIV感染症診療に協力してくれるようになり、その結果、医師・看護師・薬剤師・MSW・カウンセラー・医療事務を含むHIV診療チームが形作られ、私の退職後も継続されている。

ふりかえってみれば、HIVに関わることにより、医療関係者だけではなく多くの人々と交流することとなり、病院内外での様々な活動が私の医師としての人生に大きな意味を持たせてくれた。ありがとうございました。

※注:個人の所属、肩書きは当時のものです。

※2024年3月発行「Charming Times No.25」の「CHARM設立20周年「私とHIV」」より抜粋
https://www.charmjapan.com/charmingtimes/charming-times-no-25/