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私の自由、あなたの自由

旅行の予定を組むときなどには自由時間というのがよく出てくる。自分の好きなように過ごす時間という意味だ。自分の自由になる時間。そうはいってもものを壊したり、騒音を出したりしてはいけない。当然のことである。自由と言っても何らかの制限がある。制限の中の自由なのだ。なぜ制限があるのか。他の人に迷惑がかかるからとか、社会の秩序が守られなくなり結局自分が困るからとか、もっともな理由はいくつも思いつく。そしてそうあるべきという感情的な思いもある。
疑ったこともない自由という言葉が別の意味を持って見えてきたのがデンマークの滞在経験だ。日本のように自由とは制限の中にあるものというと、制限とは何だろうということになってきて、それは責任と義務に関係してくるわけだが、それは社会を平和に営んでいくために社会から課せられる(与えられる)制限であり、その中で自分の自由を掴むという感覚が近いように思う。ところがデンマークでは自己決定、つまり個人が自分で決めることを最大限尊重するという。言ってみれば自由の方が社会から与えられるのだ。先に書いたように、自分で好きに決めることができるということが幸福感に強く結びついているので、国民の幸福感を最大にするためにはその方針はうなずける。しかしそうなると当然のように社会が無法地帯になるのではないかという心配が出てくる。みんなが自分を主張して好き勝手するのではないかということだ。
ここに重要な視点がある。日本では制限の中に自由をつかむような感じだったが、デンマークでは自由の中に制限を自覚する、ということだ。つまり私が自由であることは、あなたも自由であることだという認識だ。私は好きな時に買い物に行く。好きな色の服を着る。好きな勉強をする、なんでもよい。それが私の自由だ。しかしそれは私だけのものではない。あなたも、だれでも、同じ自由を社会から与えられているということだ。日本では儘ならぬ現実を受け止め、その中に幸福を見つけるような自分の意識の持ち方をよしとする。それは現実に甘んじるわけではなく、現実に作用しながら幸福を掴むための知恵だと思う。デンマークでは自分の意思決定で幸福を掴む自由が与えられているので、自分はその中で幸福をつかむために行動しなければならない。現実を受け止めるだけでは、意識を変えるだけでは幸福になれないのだ。意思決定をしてゆかねばならないのである。そして自分の自由と他人の自由が衝突するようでは幸福に近づけないことを知り、他人を受け止め尊重し対等、平等に扱うというこれが、制限の認識と言える。
自分の置かれた状況の中に幸福と感謝を見つけ働きかける、ある意味では個人的な文化のようにも見える日本と、自分に与えられた自由を他人も同じように持っているので尊重しあって人生の幸福を自分で作るという、ある意味では社会的な文化のように見えるデンマーク。幸福感を自分が好きなように決めるという自由におくとデンマークの自由と制限という関係が少し見えたような気がした。

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