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一人の力は小さいか

デンマークでは国政選挙となればほぼ8割以上の投票率があるという。日本では多くの場合5割かそれ以下だ。3割台ということもある。選挙が民主主義の大切な権利の行使の機会だということはわかっているし、政治家を自分達で選んでいるのだから、私たちは選びっ放しではなくて、その後もきちんと見守りフォローすべき義務があるということも知っている。しかし実際にはなかなか政治が自分ごとになってこない。頭でわかっていても実感として関わる気にならないのはなぜか。
デンマークとの比較において耳にするのは「信頼度」である。国民同士、国民と政治(家)との信頼度が日本よりもずっと高いというのだ。ある話によるとそれによって警察官の人数が少なくて済み、その浮いた予算を福祉や教育に回すこともできるという。また、もう一つ耳にするのは、スケールの捉え方にあるという。よく「コップ半分の水」を「もう半分しか残っていない」とみるか、「まだ半分も残っている」とみるか、それによって次の行動に差が出てくるというものだ。例えば10万人が一人を選ぶ選挙があるとすると、自分の一票をたったの10万分の1だとみれば、自分一人が誰に投票しようと大勢には影響がないだろうと思えてしまう。これでは選挙に行こうが行くまいが関係ないというネガティブな行動につながりかねない。しかしこれを、自分一人では10万分の1だが、同じ考えの人もいるに違いないから、そのような同じ声が集まれば無視できない数になるはずだと思えば、たとえ当選しなくても一つの声として取り上げられて何かが変わる可能性があると行動を起こす動機になりうる。例えばの話ではあるが、次につながる行動には大きな差が出ることになる。
日本では(私がそうだが)、尊重しながら、距離をとりながら議論するのが得意ではないので、声を集めようとしても話し合い(対話)がしにくく、結果として個人が孤立したまま投票をすることになり「たった10万分の1」という感覚に陥りやすいのではなかろうか。本来の民主主義というのは声を集めてより合理的な声にまとめ上げて実現してゆくということだとデンマークで感じたことは、民主主義は結局多数決だという表面的な理解だった私には皮肉にも新鮮であった。
とはいっても人の考えはさまざまである。デンマークにも議論が好きでない人もいるはずだ。なぜそこまで差があるのだろうか。一つは国の規模である。国が大きければ人口も多い。一人ひとりの声は相対的に小さくなり、なかなか社会の仕組みを変えられるようには思えない。デンマークはその点、国の規模が小さいということはあるだろう。ただ日本でも道府県の規模ならば同様の比較ができる。つまり自分が自分の自治体の行政を動かす力があると思えるだろうかということだ。現実にっはちゃんと声を集めて意見とし、行政と議論しながら少しずつ暮らしやすさを実現している事例はある。SNSに発信された一人の声が共感を得て待機児童削減に国が動いたこともあった。よく見ればおそらくいろいろな事例があるのだ。それが民主主義の本来の形なのだ。しかしそれをつい正面から見ようとしない習慣が現実にある。これもまた受け止めて考えなければならないだろう。なぜか?いままで考えたこともない(!?)ところへと思考が漂っている感がある。それはおそらく「経済」に関係している。なんとも興味深く、考えさせられているところである。

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