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自分をさらけ出すことで起きる変化

私は57歳の時にデンマークに行くことを決めた。高齢者の尊厳ある生活とは何かを知りたいと思ったからだ。その時デンマークについて知っていたことは国名と幸福度の高い国という程度のもので、それまでは全く縁もゆかりもなかった。そしてまず、そのようなところに飛び込もうというのだから、まず何かしらつながりを作らなければならない。まずは生活のために現地で就職しようと思い、何もわからないままデンマークの企業に問い合わせたり、転職SNSに登録したり、デンマークに移住したという日本人を見つけて話を聞きに行ったりした。半年間の就活は全滅であった。当然である。デンマーク語は話せないし、英語すら怪しい。しかしこの全く無謀な試みにおそらく呆れながらも返事をしてくれた企業もあった。全く知らない外国人にそのような対応をしてくれたと言うことが記憶に残った。

就職活動はこのままでは無理だと判断し、方向転換してフォルケホイスコーレへの留学に舵を切った。今度は学費が必要だ。そこでその頃耳にすることが多くなったクラウドファンディングに挑戦することにした。それはある意味デンマークで仕事をするための募金だった。仕事とは自分の目的、高齢者の尊厳ある生活を留学を通して考察し、レポートするということだ。この考え方は留学中の自分が中だるみすることなく最後まで緊張を保って体当たりし続ける大きな原動力となった。

これらの期間で私は何度も自分をさらけ出す必要に迫られた。就職活動においては、自分の学歴、職歴、技能、興味などについて自分を棚卸しして何度も何度も履歴書とカバーレターを書き直した。この時は自分の興味と技能をアピールするためのある意味戦略的な文章を書くので、まさに棚卸しという言葉がふさわしかった。一方でクラウドファンディングではベースになるのは自分の思いであったので、自分の活動経歴と思い、興味の方向を詳しく書くことになった。これは共感してもらうために自分の心情的な部分を明らかにすることなので、少々不安があった。今までの人生では自分の立場をわきまえること、自分の個人的な心情を訴えかけることはすべきでないという意識があったからだ。

だからおそらくこの期間は自分が生まれて初めて大きく自分をさらけ出したものになったに違いない。そしてそれは私に変化をもたらした。

あっけない

一言で言えばそうなるだろうか。自分はさらけ出してみると、別に特別な存在ではない。大したことのない人間だと気づくのだ。複雑で秘密めいた貴重な何かを持っているようなあれは錯覚だったのか。あれはしまっておくことで自分にとって特別な何かであるような錯覚を起こすようなものだったのか。いずれにしてもあっけなくさらけ出された自分はシンプルである。そのシンプルさゆえに進むべき方向が見えやすくなる。高齢者の尊厳ある生活を知りたかったと今は簡単に言うことができるが、さらけ出している当初はその文すら、容易には出てこなかった。さらけ出されることを拒んでいるかのようだった。

私はこれから高齢になり介護されるようになった時に自分をさらけ出せるだろうか。それができれば、きっとあっけなく物事は進むだろう。理解され、信頼関係ができ、結果最後まで自分の思うような生活にチャレンジできるだろう。デンマーク留学はその貴重な体験を最初に教えてくれたものだった。

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