楽しかったデンマーク語の授業
私は10ヶ月間デンマークのフォルケホイスコーレに滞在したわけだが、その期間では残念ながらデンマーク語を聞き取ることも話すことも満足にはできるようにならなかった。58歳という年齢が記憶力と集中力と視力を低下させていたこともあるかもしれないが、なにより障害だったのは、「話し方」がわからなかったからだ。デンマーク語の授業では二人の先生が週に10時間程度交代しながら行われたが、一人の先生は、主語、述語、動詞、形容詞、時制などを中心に身の回りのものごとを題材に教えてくれた。もう一人の先生はとにかく会話から入った。会話の中から言葉を拾い説明してくれる形式だった.どちらの先生も習うより慣れよという姿勢で授業をしてくれた。
最近になってからだが、かつて私が大学生だった時に第2外国語というのを選択したことを思い出した。英語だけでも大変なのに、他にもう一つ言葉を学べというのだ。私は工学を学んでいたので、なんとなく使い道のありそうなドイツ語を選択した。先生はドイツ人の女性だった。授業は確か日本語とドイツ語が半々くらい。つまり授業の半分は全くわからなかった。なぜわかるようにならないのかもわからないまま、ぼーっと過ごしていたのだが、しばらくして驚いたことがあった。それはどんどん喋れるようになってきた学生がいたのである。楽しそうに先生と会話するようになってきたのである。いや、この表現は大きな間違いだ。そうなるように教えているのだから、喋れるようになるのが普通なのである。はずである。しかしその当時の私は英語と同様、なぜ喋れるようになるのか、まったく理解できなかった。必死になって単語を覚え、文法の仕組みを理解しようと人一倍頑張っていたはずではある。しかし肝心のところが全く理解できていなかった。
今でもあまり得意ではないが、その答えが今回のデンマーク語の授業を通してようやく理解できたと思っている。それはなんでもない、ただ自分のことを話すということだった。男は黙って・・とか、背中で語る、とか、技は見て盗め、とか言われる中で寡黙な職人気質に漠然と憧れてきた人間が自分の日常を話すということは実は容易なことではない。話したくないということではなく、話すことがないと感じてしまい、なにも言葉が浮かんでこないのである。日本語でさえ浮かんでこないものがドイツ語やデンマーク語で浮かんでくるわけがない。
デンマーク語の授業が始まった当初も実はそんな感じだった。日本のことを聞かれても、それについて正解を持っているわけでもないし、と思ってしまうと言葉がもう出ない。単語の意味や文法から調べようとしたが、日本語の説明ではないのでちっとも頭に入らない。少々とまどったがしかし日本語が通じないために生活上の全てを英語かデンマーク語で話さなければならないこと、また学校内のワークとして話をする機会が増えるにつれ、少しずつ何を話せばよいかわかってきた。別に大したことを話す必要はなかった、ただ経験したこととそれについて感じたことを話せばよかった。そしてそのうちに、その機会に備えてあらかじめ単語を調べたり質問を考えたりするようになった。そうなると、授業が面白い。半分くらいわからなくてもこちらが聞きたいことを尋ね、それについて他の学生もあーだのこーだの不完全ながら単語を並べ、先生が言い直してくれるのを真似しながら会話が進む。
これだったのだ。40年前にどうしても理解できなかったことが、デンマークの10ヶ月の期間で理解できた。いまだに全然十分ではないのだが、この「自分のことを話す」という楽しさがデンマーク語の授業の良い思い出になった。
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