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フォルケホイスコーレが教えてくれた大きな事(の一つ)

デンマークのフォルケホイスコーレに10ヶ月間滞在したわけだが、この学校は入学試験がない。成績もつけない。だから、私のように全くデンマーク語が喋れなくても、英語の生活経験がなくても希望さえすれば受け入れてくれる。しかも全寮制で授業料生活費込みでその半額以上を国(デンマーク王国)が補助してくれるから格安である。

このように大変良い条件でデンマークの文化に浸る経験ができたことは大きかった。私の年齢ではある意味凝り固まった経験値が豊富なので無我夢中で恥も外聞もなく聞きまくったり、リビングで皆が様々にくつろいでヒュッげな時間を過ごしている中で一人ポツンとコーヒーを飲んでいたりしてもまあ、平気だった。声をかけてくれる学生もいたし、一言も会話しなかった日も結構あった。自分でデンマーク語を組み立てて話しかけることももちろんしたが、若い世代との共通の話題、しかも異国の話題はそうそうあるものではない。

フォルケホイスコーレの生活で一番新鮮だったのは、自分で時間を使う生活だったことだ。日本では好きなこととはいえ、仕事に追われ、時間に追われる感覚が常日頃であったから、デンマークに来て自分で今日一日何をしようか、と考える時間は新鮮で楽しく、わくわくした。まったく時間に追われない生活。これがいかに充実しているものかを思い知った。とにかく隙間時間を潰すような気持ちには全くならないのである。もちろんパソコンやスマホを持ち、1日のかなりの時間はネットに接続していたのだが、必要最低限。自分で決めたことだけに使用する。時間が空いたから、ネットを見て時間を潰すのではなく、運動不足になりそうだから、毎朝ラジオ体操してみようか、とか、デンマーク語のフレーズを10個書き出して10回ずつ発声しようとか、そっちに頭が向くのである。全く自由に自分で決めることのできる幸福感とともにそれが実行できることも大きな喜びだった。

自分で決めて行動して達成感を味わう、この感覚。日本ではついぞ忘れていたものだった。日本では万事が忙しい。次から次へと物事が押し寄せる。即断即決? 言葉は凛々しいがそれは直感的刹那的な行動になることが私の場合は多い。だから自分で決めたというより「決めさせられた」ような感じになり、結果を受け止める気にならない。また受け止める時間さえ無いような気持ちだ。主体性があるようで無い状態。充実しているはずなのに虚しい状態。凝り固まった経験値があらゆるロジックでそのギャップを埋めてはくれるが、純粋な幸福感はあまり無い。先日読んだある本には、スウェーデンの若者政策の事情が詳しく書いてあったが、そこに80年代の若者が「人生を消費している」と報告されていたと記されていたが、若者では無い私も、これに当てはまっているのかもしれないと強く思った。

人生は紡ぐものであって、消費するものではない、フォルケホイスコーレが教えてくれた大きなことだった。

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