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無理に休む

休むということは実は難しい。なぜかというと、疲れているからだ。疲れていると合理的な考え方がしづらくなる。休む気力さえ無くなってしまうところがまことに難しい。休むというのはただ力を抜いて横になる、というような大雑把なものではないような気がする。体を鍛えるのに、心肺能力、筋力、持久力そしてメンタルなどさまざまな範囲にフォーカスして鍛えると効果的なように、休むのにもフォーカスすべき範囲が実はあるように思う。どこがどのように疲れているのか、それを観察してどのように休めば効果的に回復するかというストラテジー(戦略)があるはずだ。
ところが、疲れている時はそんなことまで考える気力が残っていないことが多い。私はそうだった。そうなると疲れていても休めなくなる。休む戦略が立てられなくなるのだ。そして本当に考えられなくなるまで、つまり疲弊するまでよろよろと仕事を続けてバタンキューとなる。充電池も完全に使い切ってしまうと次に充電はできるが、ダメージが残ってしまうという。自分の場合そのイメージはよく当てはまるような気がする。特に年齢を重ねてそれが顕著になってきたようだ。そういえば、「疲れ切る前に休め」というのは昔からもよく言われていた? かもしれない。ちゃんと知恵はあったのだ。若さに任せてスルーしていてやっとこの頃気がついてきたということか。
ただ、これはデンマークでストラテジー(戦略)という言葉をよく聞いたおかげもあるかもしれない。
彼の国は個人が主体的に責任を負いながら自分の人生を決めることを第一に尊重する。責任は取らされるのではなく、責任は負うものである。だから自分の行動に責任を負うべく戦略を立てると考える。ゲーム感覚というと日本ではちょっと引いてしまう感じがするが、デンマークにいるときは人生をゲーム感覚で生きるという言葉に純粋に共感を持てた。
したがって、休むということも責任を負う行動の一つだと捉えることが少しだけできるようになった。戦略を立てて時間を決めて効果的な休みを「行動」する。そのためには疲れ切ってはいけない。そういうことなのだ。私の場合は少々気づくのが遅かったので、いまからその行動をトレーニングしなければならないと思っているが、考えようによってはこれもまたワクワクする。もうあまり伸び代があるとは思えないが、まだなにか挑戦できることがあるというのが、ちょっと嬉しいのだ。
この文章を書いている、今は実は相当疲れている。昔は平気だったと思う程度が現在は相当こたえる。だからこそここで休む戦略を立てなければならないのだ。

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