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ヤンテローエン

個人主義だ、平等だ、と言っておきながら自分が発言するときに全く平等感に欠けた意識を持っていることを思い知らされているこの頃だ。これはどうもしばらく続きそうだ。デンマークにはヤンテロー(ヤンテの掟)という10ヶ条の不文律(明文律?)がある。自分をひとかどの人物と思ってはいけない、人並だと思ってはいけない、人以上だと思ってはいけない、人より物知りだと思ってはいけない、人より上手だと思ってはいけない、人を笑ってはいけない、気にかけられていると思ってはいけない、などネガティブな表現だが、社会の中で中立と平等を実践するためのルールなのだという。私が気づかされるのは頭の中でとはいえ、これらをしばしば逸脱することである。それは日本の伝統的、文化的背景があることやそれに基づいた教育を受けたことで仕方のないことかもしれないが、ヤンテローを知ったためにそれに気づかずに過ごすことができなくなってしまったようだ。

だが、以前に書いたように、ヤンテローを逸脱しない、理想の状態になりきることは不可能だと思える。なぜなら理想からのずれが生じるところに理想へ戻そうとする力が働くからだ。だから、自分の逸脱に気づけるようになったことはそれを小さくする機会をもらったということにもなる。デンマークから帰国して1年以上経ってまだこんな状態なので自分の人生に責任を負う機会を与えられる環境ということが腑に落ちるまでにはまだ時間がかかりそうだ。

それにしても自分を観察する機会が増えたこと、単に見るだけではなく、自分や他人の人格的な評価をすることではなく、自分や、自分と他人との関わりについての自分の行動を評価をすることをし始めていることはデンマーク滞在の結果として興味深い変化だ。

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