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自分で決めると何がいいのか

デンマークで日本とは全く異なる価値観の中に浸ってしまったおかげでそれが何なのかを整理しなければならず、こうしていくつも文章を書いている。

個人主義というのはある意味で思いやりに満ちた相互助け合いの安心できる環境を生む。確かに自分のやりたいことを最優先させるというところは正しい。その通りだ。日本人に比べて我慢をするということはほとんどないように見える。しかし、好き勝手をして汚し放題、無法地帯のようになるかというとそうではない。その大きな要因は、結果を自分で引き受ける、自己責任ではないかと思う。この責任という言葉のニュアンスがまた少し違う。罰則のような、罰ゲームのような不利益の強要ではない。すなわち人(世間)に対して見せる反省のようなものではない。自分の行動が引き起こした結果を自分が引き受ける。それが良い結果であっても悪い結果であっても。

では、何か具体例があるかというと、取り立てて思いつかない。たとえばルールを破ればペナルティが課せられる。当然のように思う。言葉で言うと違っているようには聞こえない。ただ、ペナルティへの受け止めは違うかもしれない。自分のこととして受け止めるということだ。

なぜペナルティを自分のこととして受け止められるのだろうか。それは自分で決めたことだからではないかと思う。デンマークの個人主義は有言実行である。必ず有言だ。自分で決めて発言して行動する。言葉で自分の行動を説明するのだ。自分の責任範囲を明確にしている。人に決められて行動すると責任は自分のものにならない。これは大きい。だが疑問に思うことは、なぜ人に決めさせないのかということだ。専門家が決めたことは成功する確率は高くならないのか? そうかもしれないが、それを鵜呑みにして失敗した時、自分は誰かのせいにしたくなる。それは自分の人生にとってどうなのか? ということらしいのだ。

尊厳とは平等な重さだ。命の重さといってもいい。専門家であっても素人であっても同じ重さの自分の決めたことならば失敗しても人生に意味が付く。同じ重さだから「それ見たことか」とは言わない。ではなんと言うか。「よくやった」と言う。明日は自分が言われるかもしれないのだ。この、互いに自己責任を背負って有言実行するのがデンマークで感じた個人主義だった。そして自分も他人も「よくやっている」と想像する力が相手を尊重するベースになってるようだ。

自分で決めると結果を引き受けられる。それを周りが尊重する。それが自分で決めるといいことなのだ。決めたことを実行してそれが結果によらず周りから「よくやった」と言われれば、悔しい結果であっても前向きに受け止められる。それを国レベルで実現しているのがデンマークの個人主義であり、実は民主主義であった。

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