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言語脳

「英語脳」などという言葉を時々耳にする。日本語以外の言語を使って喋るときには言葉の組み立てを日本語で組み立ててそれを外国語に翻訳するのではなく、ダイレクトにその言語で組み立て話す、という意味に私は捉えている。そしてそれは実感として納得できる。「脳」という言葉の響きがなにか、頭の中が別のものに変身してしまうかの如く聞こえるが、私の感覚としてはその言語のリズム感と同期するということと同じことだ。
今まで全然聞き取れなかったのに、あるとき突然聞き取れるようになるという話も聞く。それはきっと言語のリズムに耳が慣れてきてたまたまそれと同期した瞬間に聞き取れるようになったという事なのだと思う。実体験としてそれも納得できる。
しかし私の場合は一つ注意しなければならないのは、「同期」している間は聞き取れたり、喋れたりするが、同期が外れるととたんにちんぷんかんぷんになるという事だ。動機が外れるきっかけというのは、何か言葉に引っかかってそれを日本語で考え始めたりするときに起きる。だいたい非日常の(外国語の)リズム感に同期させるということは実は相当パワーというかバランス感覚が必要である。変な例えだが、2枚の少しアングルのずれた絵を並べて両目でそれぞれ別の絵を見るようにすると立体的に見えるというのがあるが、目の力を抜くコツがわかると結構うまくいく。しかしちょっとでも絵の中に引っかかるものを見つけてそれを見ようと目に力が入ると立体視できなくなってしまう。その感じと言語のリズム感の同期とは似ているように思う。
突然聞き取れるようになるというのは、ふたたび突然聞き取れなくなるということでもある。言語の同期を持続させるバランス感覚やボキャブラリーの蓄積によっておそらく同期が容易となり、「言葉が使える」ようになってゆくのだろう。私はまだ集中力が続かずに聞き取れる時と聞き取れない時が大きく交互に来る。つまりさっきまでなんとなく会話できていたものが突然宇宙人のように理解不能になる。申し訳ないくらいだ。
今は、「力を抜いて」同期を長続きさせるように工夫をしようと思っている。その一つがなるべくたくさん聞くという事であり、また、聞き取れなくても引っかからないようにする、という事である。今は幸いにもたまにデンマーク人の友人とオンラインで話す機会があるので、そのときに「デンマーク語脳」になれるようにコンディションを整えることを考えたい。

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