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想像ゲーム

3年前、デンマークのフォルケホイスコーレの秋コースが始まった当初は、どの学生もみな、友達を作ることを最優先にしていた。これから何ヶ月も共同生活をするのだ。一人でも多くの友達をつくり、長い期間をいかに楽しく有意義に過ごせるかということがかかっている。私のいたフォルケホイスコーレは学生数が100名弱おり、比較的大所帯だったので一人ひとりと顔見知りになるのも大変だ。私は学生としてはむしろ一人だけ高齢者で足が痛くてびっこを引いていたので、覚えてもらうには格好の状態だったかもしれない。それはともかく学校でも友達作りをサポートするような機会はふんだんに与えてくれた。とにかくランダムにグループ分けをしてその中で話をさせたり、2列に並んで互いに向かい合って座り、お菓子をつまみながら互いに1分間自己紹介をして、今度は一人分横にずれてまた1分間自己紹介をするとか、食堂で昼食をとるときに突然、座るテーブルを決めるためのくじ引きをさせたりした。そのようなことは強制的ではあるが次は誰と話ができるだろうかと、友達が作りにくかった自分にとっては楽しみなことでもあった。
そのような中で一つ記憶に残ったゲームがある。それは秋コースが始まって半月ほど経った時に近くの自然公園に全員でキャンプに出かけたときのことだ。そこでグループに分かれてゲームにチャレンジしてゆくのだが、その一つに、想像ゲームとでも言えそうなものがあった。グループリーダーが自分についての文をいくつか作って一つずつ短冊状に切りはなしてグループのメンバーに1枚ずつ配る。メンバーは一人ずつそれを声に出して読み上げ、それぞれのメンバーはそれはグループリーダーのこととして正しいかどうかを推測する。そして「せーの」で自分の判断を親指の向きで表す。上むきならYes、下むきならNoだ。リーダーが正解を言い、正解だった人の数がその場のポイントになる。全員が短冊を読み上げるまでこれを続けて合計の得点で競うというものだった。これはつまりリーダーのことに関心を持って想像できるかどうかということだ。
このゲームは私にとって非常に良いスタートラインになった。というのも短冊に書いてある文はもちろんデンマーク語である。まだデンマーク語で話したことがほぼ皆無のときだったが、これを読み上げないとゲームが進まないという状況。日本ではあまりの発音の難しさに例文にカタカナで読みを振っていたというレベルだったが、必死に短冊に書かれている意味不明の文字を読んだのだ。すると、リーダーの学生が大きな声で、「おや、ちゃんと聞き取れるよ!」と言ってくれた。私に意味がわかったということは多分英語で言ってくれたのだろう。この一言が多難なスタートを切ったデンマーク生活でどれほど嬉しく、支えになってくれただろう。リップサービスだったかもしれないがそれでも、それからはデンマーク語に対する敷居の高さがグッと下がり、今なお困難を極める発音のデンマーク語ではあるが、親しみを保ち続けている理由なのだろう。この想像ゲームのように、人や自分をよく観察したり、進んで参加したり、共に体験することで連帯感を生んだり、フォルケホイスコーレだからそのような雰囲気だったのかもしれないが、日本で思い返している中でも、良い思い出になった体験である。

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