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日本的会議

大変日本的なミーティングに出席してきた。町内会の関係なので、メンバーはそれぞれ上下関係はなく、フラットなはずである。しかし団体の長もいて、議長と副議長的な立場で会議を進める役目もある。
議題と内容が読み上げられて、意見があれば任意のタイミングで発言し、対立するような場合は、議長が「気持ちはわかるが今回はこれで行こう」というような都度、まとめと決定を行ないながら進行するというようなものだ。議長が温厚にまとめるというところに人格的信頼が必要になり、発言者も感情的な解決を求める傾向がある。

デンマークに行って帰ってきてみて改めてこのような会議に出てみると、なるほど日本的とはこういうことかと感じたというわけだ。それは昔ながらの流れ方であって、自分も慣れてはいるが、いかんせん、多数の意見を聞くという空気があまりないのが残念だ。個人的には全体の流れと問題点とその解決策をリストアップするなどしてみなで作り上げる空気が好きなのだが、すでにやり方は決まっているという空気が支配的になるので、自分としては戦略が必要になる。一見細々と言い合いをしているだけに見える中で、自分が一番心配している箇所に目線が向くように発言を投げ込むことだ。この間合や言い回しが難しいのだが、会議の後に何も決まっていないということがないように、適切に発言を入れてゆくことは実は他の人もやっていることだ。

形の上では必ずしも個人が尊重されていない会議の場では、礼を失する事なく必要な発言をタイミングを見て入れるというスキルが日本では必要なのだ。

しかしやはり発言者への尊重をいかに維持して誰もが安心して自分の責任を負いながら発言できるかという、そのような場を作れることが理想だと思った。

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