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フォルケホイスコーレのファンである

私はまだ悩み続けている。私がデンマークのフォルケホイスコーレに留学したのはある意味偶然だった。本当は当地で職について市民として生活するのが目標だった。しかしたった1年の準備期間で全く縁もゆかりも喋れもしないデンマークに職を見つけることができるだろうか。可能性は限りなく0%に近い。それでも闇雲にやるだけはやってみた。が、私が雇い主であっても決して雇ってみようなどという気にはならなかっただろう。不採用のメールばかりがたまり続けた。それでもそんなことを続けているうちにどこからか少しずつ情報が入るようになり、デンマークのことを知るチャンスが増えたことは間違いない。絶望的に思える目標も全力で体当たりをすれば、何かを感じるものだ。結局フォルケホイスコーレに決めたが、それでも自分の目的が果たせるのだろうかと不安な思いはあった。

それというのも、私は勉学のためにデンマークに行くつもりではなかったからだ。高齢者や社会的弱者の方が、尊厳ある幸福な生活を送っているはず、そうならばそれを現実に見て感じて自分のそのうち訪れるであろう要介護生活に役立てたいという、いわば利己的な目的であったからだ。フォルケホイスコーレがどんな所かもよく知らず、全寮制なので暮らすのに不便ではなく、週末には比較的自由な時間があるというそれだけの情報しか当初は持ち合わせていなかった。しかし帰国してみれば私の不安は大きな満足に変わり、フォルケホイスコーレのファンになっていた。そこは海外での異文化の暮らしを体験できただけでなく、その異文化を学校で教えてくれ、地域との交流の機会も数多くあり、若い学生たちから大いに刺激を受けることができた。週末を中心に多くの時間を考えることや地域に出かけることに割くことができ、後半はコロナロックダウンのために2ヶ月半をほとんど考えることと散歩ですごすという経験までついてきた。

デンマークでの多くの体験の中から、自分の目的であった高齢者や社会的弱者の尊厳ある幸福な生活が自分にもたらされるか、ということを考えると、これは直球ストライクの答えはなかった。そのかわり、全市民が幸福を共有する社会と文化を持とうとしていることを知った。弱者だけではないのだ。全市民が幸福に人生を送るというシンプルだが「一言でいいあらわせない」、全体を感じてしまった。これをnoteに吐き出しながら何とか筋道をたてて書いてみたい。いまはそこに悩んでいるのだ。

キーワードはすでにいくつか持っている。平等、安心、信頼、対話、自己決定、行動、責任を負う、機会が与えられる、デモクラシー、などだ。これらは一つが全部、全部が一つというような様相となっており、どうも全ての言葉を出しながら整然とまとめ上げることができないのではないかと最近は思っている。だから一つずつ、小さな体験を話すことが全体を説明することになるのかも知れない。また明日も悩みながらキーボードを打つことになるのだろう。


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