個人はもっと行動してもいいのでは?--日々の尊厳

自分の行動に自信が持てないという時がある。60年以上も生きてきて何を今さら、だが、それはまてよ、それはとりあえずも行動したということだ。自信がなくても行動したということだ。その結果にどうも自信が持てないということだ。
日々の自分の行動を振り返ると、その大部分は無意識というか、ルーチンワークというか、日々の生活のための行動である。例えば最近寒くなってきたので床の上にカーペットを出したのだが,一枚の大きなやつではなく、40cm四方くらいの正方形を好きなだけ組み合わせていくタイプのものである。これは夏場にしまっておくにも都合がいいし,重宝しているのだが、上に椅子やテーブルを置いて引きずると簡単に隙間が開いてしまう。床面は壁や家具との兼ね合いで正方形がきっちりはまるわけではないし、そもそも床いっぱいに敷き詰めていない。そこでネットで調べて強力な滑り止めテープなるものを購入した。するとこれを1番外側に来るカーペットブロックに合わせて貼り付けてゆく作業が発生した。カーペットに乗っているテーブルや椅子をどけて床とカーペットの汚れを拭きながらテープを切り,貼ってゆくのでちょっと手間だ。だいたい40〜50分くらいは掛かるだろう。少し面倒くさいなと思う。腰も痛いんだよなと思い出す。急ぐことでもない。もっと時間のある時に。。。。やらない理由、やれない理由が無限に湧き出してくる。
この、やるかやらないかというせめぎ合いが実は「時間に追われるか否か」の境目である。心のゆとりが手に入るか否かの境目である。よく「明日のことは明日やれ」というではないか。何も慌ててやることはない、というのは誤解である。「やる」と決めて動き出すのである。計画を立てたり、必要なものを揃えたり,プロジェクトを始動させることが重要だ。「旅行は計画している時が一番楽しい」と言う。それはこれからの行動を日時を決めてストーリーを作っているからだ。達成できるような段取りを作り、それを達成してその「達成感」を味わえるからだ。そのことが「決めて動き出す」ことの意味を如実に物語っている。
先のカーペットの例では、うまい具合に家族が買い物に出かけたタイミングを使って家具を移動し外縁のカーペットに合わせながら邪魔の入ることもなく丁寧に貼り終えることができた。約1時間。我ながら良い出来だとひとりごちる。ちゃんと行動できたと言うわけだ。達成感と満足感である。だがもちろん同じ結果になる別のストーリーがある。同居する家人に文句を言われてやれやれしょうがない、次の週末にやっとなんとかやっつけてホッとすると言うものだ。こちらはどうだろう、達成感と満足感がだいぶ少なく、疲労感が優っているようである。前者を内発と言うなら,後者は外発である。私が言う「行動」とは内発の方である。そのような行動なら自信が持てないことはよくありそうだし、しかし結果にかかわらずそれを受け止められそうである。

デンマークから帰国してすぐに感じたのは、なんと日本は忙しいのだろうということだった。それは恐らく「外発」行動の多さである。とても便利であれもこれもできる。そこであれもこれもやってしまうので忙しくなる。少しの不便と少しの手間に相応の時間をかける時、その行動が実は真の「行動」ではなかろうか。その意味で、個人はもっと行動してもいいのではないかと思えるのだ。

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