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【読書感想文】人を想うことの悩ましさ『また、同じ夢を見ていた』

また素敵なお話に出会うことが出来ました。

『また、同じ夢を見ていた』住野よる

この著者の作品は、随分昔に『君の膵臓をたべたい』を読んでから二作目になります。たった二冊読んだだけではありますが、思いました。私、この方の作風が大好きです。

お話の主人公は、小学生の女の子。
それも自他共に認める賢い女の子です。

『君の~』でも思ったんですが、この著者の書かれる登場人物、台詞の言い回しが賢いんですよね。頭の回転が速いというか、誤解を恐れず言うと……こざかしい、と言うか。
「へぇ、賢いなあ。」と純度100%の称賛というより、苦笑いしながら「まぁ、まぁ、そうね…w」と頷きたくなるような感じ。伝わりますかね。

本が好きで、頭の回転が速くて、しっかり者の彼女が、友だちと話をしながら答えのない難題に挑戦していきます。その難題というのが、

「幸せとは何か」

小学生の模範解答は、まぁおそらくハンバーグでしょうよ。
でも彼女は、なっちゃんは賢い回答を目指して色んな人にヒントを貰いながら、小さな賢い頭で悩み、考えていきます。

小学生ならではの視点と、頭の回転の良さで彼女なりの答えが見えてくる。賢いが故に、うまく正しい答えにたどり着けないこともあります。答えのない難題に、正しい答え?正しさって、なんですかね。

そしてこの難題に立ち向かうために、ヒントをくれるなっちゃんの友だちも素敵なんです。小学生のなっちゃんを子ども扱いせず「賢いあなたなら分かるはず」としっかり向き合ってくれる心強い味方であり、友だち。私は南さんが好きです。

1.なっちゃんの友だち

①アバズレさん

強烈なお名前ですが、アバズレさんです。
アクセントはアバ↑ズレさん、でしょうか。こういう登場人物の名前の使い方も上手いんですよね。名前はインパクト大ですが、優しい大人のお姉さんです。なっちゃんの話し相手になってくれる上、なっちゃん以上に賢い返答をくれる大事な友だちです。
そんなアバズレさんとの会話に、こんな台詞があります。

「プリンの甘い部分だけを好きでいられるのは、素敵なことだ」

なっちゃんが、友だちの気持ちがわからないという悩みを打ち明けたときの一節です。
大人はコーヒーやお酒など、なっちゃんには良さのわからない、苦いものを好んで飲んだりします。カラメルの苦い部分なんてなくても、甘い部分だけで美味しいのに、と考えるなっちゃんに、アバズレさんはこう答えるのです。

理解できないなっちゃんに、アバズレさんは「わからなくていい」と言います。自分はコーヒーを飲むけど、彼女はなっちゃんのために甘いアイスなども用意してくれています。そんなアバズレさんにとって、コーヒーのような苦いものとは何なのか。

これに、私なりの考えを一つ。
なっちゃんは本当に賢い子です。本を読んで知識を得たり、人と話して得た知見を自分なりに飲み込んで、理解します。それと同時に、子どもらしい純粋さも持っています。それこそ、友だちを「アバズレさん」と呼んでしまうような純粋さ。

大人になると正しさよりも、波風立てない曖昧さを取ったりしますが、なっちゃんはそんなことすら分からず、素直に(なんならバカ正直に)向き合って悩んでしまいます。

自分が間違っていないと思ったら、堂々としていれば良い。
理解できない行動をする、知性のないクラスメイトなんて興味ない。

好きなものを好きなだけ、
嫌いなものは、適当にあしらって。

大人になると、そんな素直さっていつのまにか失われていて、正しくあろうとしていたはずなのに上手くいかず飲み込まなきゃいけなくなることがあります。
まだなっちゃんが知らない、世の中の不条理のようなものを避けることが、悪いことのように思えてしまって、飲み込まざるを得ない。アバズレさんにとっての苦いものは、そんな諦めが垣間見えます。

もし自分が何かやり直せるなら、こんな小さな子どもはまだ、何も知らないままでいてほしい。アバズレさんはそんな思いも込めて、なっちゃんに「甘いおやつ」を振る舞っていたのではないでしょうか。

②おばあちゃん

おばあちゃんはアバズレさんと同様、なっちゃんの話をしっかり聞いてくれる心優しいおばあちゃんです。なっちゃんと同じく読書家で、素敵な本をたくさん知っていたり、美味しいマドレーヌを焼いてくれるおばあちゃんが、なっちゃんは大好きです。

アバズレさんとのお話が、壁にぶち当たったとき考える「賢い方針のヒント」だとすれば、おばあちゃんはなっちゃんの方針に対する「受け止め方のヒント」をくれる人でしょうか。

どんな幸福があって、どんな悩みがあって、それをどう感じるか。
おばあちゃんの難題への答えは「今、私は幸せだったって、言えるってことだ」です。

「それって、ずうっと長く生きていないとあれがないわ、説得力」

また、同じ夢を見ていた

おばあちゃんはずっと、なっちゃんに共感し寄り添ってくれていますが、おばあちゃんの返答は全て過去形なのです。なっちゃんよりずっと長く生きてきた経験から出る答えは、なっちゃんに理解はできても実践向きではないのですね。

それでも、賢いなっちゃんはおばあちゃんの答えに納得ができるのです。甘いおやつと共に、自分の中でゆっくり咀嚼し、考えられます。
だから今でなくとも、いつか実感できる日が来るかもしれない。おばあちゃんもなっちゃんも、そんな「いつか」を過去と未来から見つめています。

③南さん

秘密基地のような場所で出会った南さんは、その出会い方から強烈だったりします。高校生の南さんは物語を書くことが好きで、本好きで自分でも書いてみたいと夢見るなっちゃんの憧れの友だちです。

「いいか、人生とは、自分で書いた物語だ」

この台詞は南さんのですが、この「人生とは~」という口癖はなっちゃんのものです。作中何度も色んな言い回しで出てくるのですが、これが癖になるというか、こざかしいなと感じる理由でもあります。

その心は、「遂行と添削、自分次第で、ハッピーエンドに書きかえられる。」

……いやぁ、カッコいい。この言い回し、私も使いたい。
高校生なので、先の二人ほど落ち着いた態度でなっちゃんと話したりせず、甘いおやつも出してはくれません。その代わり、二人より先になっちゃんに、差し出したものがあります。

それが「自作の物語」です。

どんな物語だったのかは作中では触れられませんが、なっちゃん大絶賛の物語です。
なっちゃんも南さんも、賢い子なので感情的になって相手に気持ちをぶつけても、無駄だと言うことは知っています。南さんはその抱え込んだ感情を、恐らくは物語として文章に落とし込んだのでしょう。
ここから、大人たち二人からは教わらなかった「気持ちをぶつけるということ」を南さんは教えてくれます。

「南さんは言いました。意味の分からないことを、言いました。」

また、同じ夢を見ていた

そして物語の全貌とも言える謎の発端も、南さんからです。
南さんはなっちゃんを“奈ノ花”と呼び、自分の後悔をなっちゃんに託します。
なっちゃんは子どもなので、それが何のことだかわからないのですが、それでもしっかり考え、受け止めてくれるのです。

わからないなりに、相手の想いを自分なりに汲む。良き理解者でありたいと願う。

人と関わるときの大事な心構えを、南さんは実践で教えてくれました。

他にも登場人物たちはいるのですが、ここで紹介しすぎるとネタバレがすぎるため、割愛します。

2.色んな意図の交錯

なっちゃんの宿題の話、友だちの話、家族の話にクラスメイトの話……と、登場人物と話す度に色んな議題が生まれ、あれもこれも一喜一憂したり悩んだりと忙しないなっちゃんの物語。その中で違和感を持ち始める構成は、最後まで読めば絶対、もう一度読み返したくなるかと思います。

少なくとも私は最後まで察しが悪かったため、二周目にページをパラパラと捲りながら「え、あ、これこういうことか!」と答え合わせができてとても満足でした。

タイトルと同じ台詞が何度か出てくるのですが、ひっかかりながら読んでいた部分がこの台詞と共に全て繋がり、ラストで物語のベールが剥がされます。そのベールの払われ方が優しくて、まるで夢から覚めて見る、風に揺れるレースのカーテンのようで。

……そうか、「夢を見ていた」ってここでそんな風にタイトル回収するんですね!
おっっっしゃれ!!!(膝パァン)

あとやっぱり『君の~』でも思ってたことですが、優しい物語の中に突如、破裂音のしていそうな事件が現れるんですよね。物語を読んでいるはずなのに「現実ってそういうとこあるよね」と言わんばかりの勢いで、急に読者の頬をスパァンと引っぱたくような。

なっちゃんは決して、心が不安定な女の子ではありません。
ただ、子どもならではの壁にぶち当たったり、色んなことを一生懸命考えています。目の前のことに手一杯、とは言わずとも、必死になっているのに、そんな最中にそういうことが起こると、思わず「そんな強烈な一撃、やめたげてよ……」と思ってしまうんですよね。

小さな女の子が、まるで雷にでも打たれるかのような、どうすることもできない無力感に襲われる。
あなたや、あなたの大切な人が悪いわけじゃないんだよ、と誰かに声をかけてほしくなるような、そんな場面があります。ちょっと胸がきゅっとします。

それから、なっちゃんとお友達のお喋りタイムも好きです。
独特な言い回しの面白さもそうですが、自分だったら小学生のなっちゃんに、どんなアドバイスができるかなと考えながら三者三様の回答を見るのが面白いのです。

上に上げた三人のアドバイスだと、なっちゃんはすとんと心に落とし込んで理解するのですが、例えば学校の先生だとこうはいかなくて、なっちゃんは「的外れだな」と感じたり、受け入れられないものには頷かなかったりします。

それは、友だちがなっちゃんと同じ考え方をしているからに他なりません。

けれど、経験してきたことが違うので「もしあのときこうしていれば」という後悔や、逆に「もしこうしていなかったらどうだったろう」と想像しながらそれぞれ、少しずつ違った答えが出てくるのです。

まだこれからどうとでもできるなっちゃんに、自分ならどう返答するか。なっちゃんの疑問に、自分は何を伝えられるか。

自分なら「なっちゃん」に、何を話すか。

その先で選ぶ選択肢が、なっちゃんにとって良いものであるようにと、皆が祈りながらなっちゃんとお話をします。彼女たちのように、うまく答えることができるかなと、自分の言葉を考えたい一冊でした。いやぁ、おもしろかった!

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