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【読書感想文】本当の声なき声とは『52ヘルツのクジラたち』

52ヘルツ。
それは、他のクジラには決して届かない周波数。仲間とすれ違っても気づいてもらえず、孤独の海を彷徨いながら、どこにも届かない声で歌うクジラによく似た人たちのお話。

『52ヘルツのクジラたち』


著者は町田そのこ。
まず、本を読み終えての率直な感想が「ツラい……!」
心のまま書いた私の感想を見る前に、できることなら何の先入観も前情報もなく、このお話に触れてほしい。生身の自分で感じるものを大事にしてほしい。そう思いますし、少なくとも私は、そんな読み方ができて良かったなと思っております。

けれど「この物語では主人公のキナコが、色んな人と関わって、色んな経験の中で色んなコトを考えながら、頑張って生きていきます。」という感想だけでは、間違いではないものの、あまりにも何も伝わらない。オススメしたいのにこれでは致命的。
なのでネタバレは申し訳なくもそこそこ並べつつ、しかし核心についてはぼちぼち引っ込めながら、物語の感想を述べたいと思います。


1.52ヘルツの声の主

冒頭にも書きましたが「52ヘルツ」というのは、ある孤独なクジラの鳴き声の周波数です。通常のクジラの声は10~39ヘルツなのだそうで、この52ヘルツというのは仲間に届かない音らしいのです。世界で一頭だけ、そんな声で歌うクジラは“世界で最も孤独”と言われています。

この物語の中に出てくる「52ヘルツの声の主」は3人います。いや、実際はもっといるし、なんなら全員と言っても過言ではないのかもしれません……(という話も後に書きます)。
まずはメインの人物を3人、紹介していきます。

①主人公:キナコ

何度も言いますが、ばっちばちにばっちりと、ネタバレをしていきます。
ちょっとでも興味があって「読んでみたいな」と思われていたり、映画見たいなと思っているのであればこの感想文は読まないでほしい。
そんな方は去りましたね?いいですね?

……、それでは。

まずキナコの生い立ちなのですが、かなり悲惨です。毒親も毒親、混じりっけナシの虐待を受けています。わかりやすくも搾取子。
キナコの回想でも語られますが、キナコは子供の頃に、弟がめちゃくちゃ可愛がられているのを、遠巻きにじっと見つめてしまうシーンがあります。このまま眺めていては父に怒られて、ぶたれてしまう。わかっていながら、足が動かない。ありえないと理解しつつも、母に「こっちにおいで」と呼ばれるのを待ってしまう。そんな無慈悲なシーンがあるのです。

これを読んだとき、私の感想は「わかる……」でした。
どれだけ理不尽な目に遭わされようとも、子供って親が好きです。好きになる要素なんて、少なくともこの本じゃちっとも見えてこないんですが、そんな刷り込みがあると私は思います。

要は「母を好きでいなければ、自分は死んでしまうから好き」という気持ちを、無自覚に持っているのです。

他の読者からキナコはどう見えるでしょうか。
家庭環境が健康な読者から見れば、キナコの経験はどれも、キナコの弱さに起因しているように見えるかもしれません。そんな理不尽な目に遭わされたなら、親と言えど言い返すべきだ、抗って逃げ出すべきだった、とか。実際、大人になっても1人では逃げられませんでしたから。

でも、無理なんですよね。
一般的な子供が、親からの愛情を受けることで自分に自信が持てるようになるのであれば、キナコの自信は粉々に砕かれています。読者から見える理不尽すら「自分が頑張れば状況はよくなるかも?」とか「自分がダメだから、もっと頑張らないと」とか、そう考えてしまうんです。あわよくば、母にありがとう、と言われたくて。

大人になろうとも、キナコはもう傷だらけで、立てなくなっているのです。這いずるように前を目指して、それでも親にすら手を貸してもらえないどころか「傷だらけなのはお前のせいよ。さっさと立って歩きなさい」と言われ続けてきたのです。そんなキナコにとって、「そんな親からは走って逃げ出せ」というアドバイスは、ありえない選択肢なのです。

そうして自分を追い詰めている事にも気づけず、死ぬように生きていたキナコのSOSは「52ヘルツの声」に当たるのではないかな、と思います。

その後も、少しずつ人に助けられながら生きていくのですが、まだキナコは弱いままです。
優しい人に手を差し伸べられれば、どこかおかしいと少しずつ気づいても、底なし沼に沈むように逃げ出せなくなっていく。そのせいで、本当に大事にすべきだった手をキナコはちゃんと掴むことができませんでした。
その人の声を、聞くことが出来なかった。そうして、もう1人の52ヘルツの声の主と、すれ違ってしまいます。その罪悪感に押しつぶされそうになりながら、キナコは生きていました。

さて、そんなキナコが聞き取ることのできた、52ヘルツの声の主がいます。「52」です。

②クジラのような子:52

キナコと似た経験を抱え、色んなことに諦めてしまった子、52。
52です。52ヘルツの、52(ごじゅうに)です。何故この名前なのかは作中にてご確認ください。

この子こそまさに「52ヘルツの声の主」と言えるでしょう。苦しんでもなお、誰かに声を届けられるキナコには、頼れる友人がいます。52には、いませんでした。故に、声を出すのも億劫になったのでしょう、言葉を話せない子として登場します。

キナコと違う点は、52は強いことです。
物語の中では間違いなく弱者ですが、キナコのように色々な苦しみを抱え、それでいて人に助けを求めることができました。キナコと違うのは、愛してくれた人の記憶があるからでしょうか。(キナコも助けられてますが、助けられたタイミングが大人になってからなので、そこも大きな要因だと思います。)

メインストーリーなので詳細には語りませんが、52に、キナコは救われます。キナコが52を救おうとして、救われるのです。自分は生きていてもいいんだろうか、という罪悪感に押しつぶされそうだった孤独から、52はキナコを救い出してくれます。誰かを助けたいというキナコの気持ちが、キナコを生かす源になっていくのです。

言葉を話せないからこそ、必死になってキナコは52の思いを汲もうとします。52ヘルツのクジラたちの会話だと、私は感じました。

③キナコの恩人:アンさん

アンさんのネタバレは、さすがに控えます。読み進めて知ったときの衝撃は、色々と胸に来るものがあるので、ぜひ作品の中で知ってほしい。この物語の核心とも言える人物です。

私の中ではこの人が一番、孤独なクジラでした。
ずっと孤独に苛まれて、声の出し方すらも忘れてしまった。自分の声が誰かに届くと信じられなくて、もうずっと諦めていたのかもしれない。それでもキナコには、わかってほしかった。
そんな優しい人の、優しい52ヘルツの声が、アパートの浴槽で響いています。

アンさんの声が聞こえるときが、このお話で一番息の詰まるシーンでしょう。
人間なのだから、言葉を使えば良かったのにと誰かは言うかもしれない。そうすれば、最悪の結末は回避できたかもしれない。それでも、伝えられなかったことへの深い悲しみは、誰かを救いたいという想いと表裏一体なのです。誰にも責めることはできません。

……いや、もう、ただただツラい。
優しい人は皆ハッピーであってほしい。そんな人にはキッツいシーンでしょう。悲劇は物語のなかだけで十分ですが、それでもツラいものはツラい。アンさんのお母さんの行動もまた、アンさんにとっての悪意のない地獄を知らしめていて、目を背けたくなります。

2.みんな「52ヘルツの声」を持っている

ここからは私の考察的な話。

メインの登場人物を3人紹介しましたが、私は52ヘルツの声は誰しもが持っているものでもある、とも感じています。物語の中で際立つのはやはり「弱者の声」ではありますが、作中のメッセージを正しく汲み取るのであれば、52ヘルツの声の主であったこの3人ですら、聞くことの出来なかった声がある。そう思えるのです。

お話の中ではキナコの両親のように、めちゃくちゃ嫌なやつがしばしば登場します。
しかし、52を毛嫌いし傷つけた52の母親も、誰にも届けることのできないSOSの出し方に悩んでいたはずだし、かつてキナコの恋人だった人も、自分がSOSを出すべき人物なのだと気づけないままだったように思えるのです。

ところが勧善懲悪なストーリーでもあるので、そういう嫌な奴はそれなりに、因果応報な結末を迎えています。つまり、暴力や理不尽で訴えた人から響く52ヘルツは、文脈からは読み取れないのです。
優しい人たちの儚い声が拾われ、救われる世界であってほしい、と願う人の言う「優しい人」から溢れ落ちた人だって、救いが必要な人たちでもあるはずだと、私には思えました。(もちろん、キナコたちがそれを拾ってやる義理はないですけど。)

このお話に触れて、声なき声を聞く、ということに意識が向いた人は多いでしょう。そのなかで、嫌なやつの声にまで耳を傾けられる人はどれだけいるのか。自分こそは弱者の声を聞く「善」でありたい、と願う人のなかで、どれだけの人がそんな横暴な声に耳を塞ぐ「偽善」を、自分の中に見いだすのか。そんなことを読後ふと、考えてみました。

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