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#025 ~音楽を始めたきっかけ ライブ・レコーディング・プロモーション~

バンド活動とは基本的に

まず、楽曲を作り
次に、リハーサルで演奏の技術を高め
でもって、レコーディングに臨み
発売日を決めて、プロモーション活動をして
ツアーを回り、フェスに出たりもする。

ってな流れだと思います。

ツアーが終わると、また上の繰り返し。

そんな中、A-JARIも初のツアーを回った。
多分、札幌ペニーレーン辺りから、福岡ビブレホール
最終日は中野サンプラザだったであろう。

ファーストアルバム、A(アルバムタイトル)の中に、GoodMan時代の
Why do you knowという楽曲を入れてくれた事は本当に嬉しかった。

ツアー中で、福岡ビブレホールでの出来事で記憶にあるのが、
客席の一番前に、強烈なA-JARIファンらしき男の人がいて
とにかく曲に合わせて、踊ったり歌ったりしているのだ。

そして Why do you know の演奏が始まった。
すると、彼はボーカルの本多と共に大声で歌うではないか!

熱心にアルバムAを聞いてくれて、今日を待ち望んでいてくれたのだろう。
私が感動したのは、私が作った楽曲を、右も左も分からない土地に住む彼に
伝わったという事だ。

これには私も震えるほど感動した。


最終日の中野サンプラザ TakeOff'87ライブは、EastWest’84の決勝からおよそ2年半ぶりだ。
しかもワンマンライブなんて!とても贅沢な事だった。
映像は少しはyoutubeに誰かがアップしてくれている。
ボーカルの本多は、高い所があると登る癖がある。
左右にある大きなスピーカーによじ登り飛び降りるのだ。
あれは痛かったと思う。
余談だけど、25年後に本多と私は富士登山に行った。日本一高い所だwww

また、夏には京都や日比谷野音など、沢山のロックフェスに参加した。

1987年後半にはセカンドアルバムの準備が始まり、それと同時に
NHK BSが企画した ロックンロールバンドスタンドという全国5ヶ所同時開催の年越しライブにA-JARIが新潟に参加した。
ハウンドドッグや爆風スランプや色んなメジャーなバンドが出演するとてもどでかいイベントだった。


丁度BS放送が始まった頃で、NHKスタッフに

ここの演奏が1度宇宙に行って地上に戻りTVに映る

という言い方をされて、
宇宙〜すげぇなぁ〜って思った。

A-JARIは本番が午前4時だったと思う。
凄いバンドの数だったので、リハーサルが逆リハ(リハーサル順番がが本番最後のバンドから最初のバンドという順番という意味)
自宅を5時に出て、6時発の新幹線に乗り、リハーサルが午前10時。
終わるとホテルに移動し、午前1時まで自由時間。
待ち時間があまりにも長く、やることも無い。

私はキーボードの”のぶりん”と2人でホテル近くの蕎麦屋へ行き、熱燗を飲み始めた。
何本飲んだかは覚えていないけど、かなり酔っ払った。
そのままホテルに戻り、少し寝た。と思ったら、24時を過ぎていた〜

年が明けていた


急いで準備をしてホールに移動したが、かなりフラフラだった。
ライブ会場はかなりデカかったのは覚えているんだけど、
その後どうやって帰宅したかは全く記憶にない。

デビューから1年は 光のような速さで毎日が忙しかった。

セカンドアルバムROUGHは1988年2月発売である

つづく〜


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