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遊戯王という運ゲーを楽しむために【遊戯王 Advent Calendar 2023 24日目】

※この記事は遊戯王Advent Calendar 2023の企画記事です

前日の記事はこちら↓

イグナイトは「デッキのどこを引いてもイゾルデになれるギミック」というだけの認識だったので、イゾルデ前バロネスやそれぞれのイグナイトモンスターの特徴などの話がとても面白かったです。

前書き

初めましての方は初めまして、キャベツです。

この度は、前年までの刺身さんから主催を引き継ぎ、私キャベツが遊戯王 Advent Calendar 2023の企画・運営を行っています。

募集時は集まりが芳しくなく正直どうなることかと思っていましたが、どうにかこうしてあと二日のところまで漕ぎ着けられたのは、参加者の皆さんやツイートを拡散してくださった皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。

今日と明日の二日間は私が記事を担当します。今日は21:00の制限改訂まで皆さんは暇していると思いますので、この記事を酒の肴にでもしていただけると嬉しいです。

では、さっそく本題に入っていきましょう。


※私はMDメインの人間なので、基本的にはMDの話をしていると思ってください。MDはシングル戦、ガチ対戦、一年程度過去の環境の遊戯王です。

遊戯王は運ゲーか

????「ここで俺が攻撃力1000以上のモンスターを引いたら面白いよなぁ?」
???「何を戯言を!そう簡単に・・・」
????「でも引いたら面白いよなぁあ!?」

面白くねえよ。トップ解決すんな。

さて、遊戯王は運ゲーかという話題は、シャカパチ論争やガチ・カジュアル論争と並んで、頻繁に遊戯王プレイヤーの間で議論されます。

「遊戯王は金のかかるじゃんけん」「後攻は誘発を引けてなかったら負け」という言説がもはや定型句として浸透していることからも分かるように、「遊戯王はダイスやドロー、初手の内容などの運要素で勝敗のほとんどが決まってしまうため、カードゲームとして面白くないし競技性も低い」という主張はことあるごとに繰り返されてきました。

遊戯王が運ゲーであるかどうかの真偽を本記事で扱うつもりはありませんが、重要な部分ではあるので私なりの意見を書きつつ主題への導入としたいと思います。

まず、遊戯王はダイス然りドロー然り、運要素が勝敗に大きく絡むことは確かです。特に、遊戯王では先攻を取った側が事実として明確に勝利しやすいですし、誘発・捲り札を握れなかった後攻が先攻の制圧盤面になすすべなく敗れる試合展開も珍しくないので、「遊戯王は運が大きく勝敗に影響する」という主張はそれなりに筋が通っています。

一方で、CSやDCなどの大会では、特定のプレイヤーが継続して結果を出す場合が多いことから、勝敗に運以外の要素が大いに影響していることもまた事実です。誰しも平等に与えられている運という要素だけで勝敗が決まるのなら「強いプレイヤー」は存在しません。運以外の要素、即ち実力は、例えば環境に合わせたデッキ選択や構築、試合中のプレイなどが該当します。

では、結局のところ遊戯王において、運と実力のどちらが勝敗を決める要因として支配的なのでしょうか。

これは簡単な話で、一試合の勝敗は運が支配的であり、何試合もした場合の総合勝率は実力が支配的になると考えて良いと思います。運は皆平等であり誰しも日によって勝ったり負けたりはしますが、試合の回数を重ねるほどそのムラは均されていき、実力による勝率差が浮かび上がってくるのは、割と当然の話に思えます。

以上が私なりの「遊戯王」と「運」の捉え方です。

これを踏まえた上で次に考えたいの、は「遊戯王は運ゲー」という批判を行なっている主体についてです。

誰が言っているのか?

遊戯王の一試合の勝敗を決める要因は運が支配的だと書きました。あるゲームをそのゲームの開始から決着までの1サイクルではなく長期的に何試合もした場合の総合勝率で評価するのはマイナーな考え方だと思われるので、「遊戯王は運ゲー」という批判はある程度的を射たものだと私は思っています。

その上で考えたいのが、この「遊戯王は運ゲー」という批判をどのような主体が発信しているのかです。

この主体を考える理由は、主体の内容によっては「運ゲーだ」という批判の重要性が変わってくるからです。

たとえば、遊戯王を知らない人間がWCSを配信で観戦している際、退屈そうに「遊戯王って運ゲーだね」と言った場合、批判を行なっている主体は「非プレイヤーの観戦者」となります。

批判の主体が観戦者の場合、批判の重要性は薄れます。というのも、ゲームにおいて重要なのはやっている本人たちの気持ちだからです。プレイヤーが楽しんでいるのなら周りがどう思おうと関係ありません。新規参入やMDのe-sportsとしての行末を考えれば検討の必要もああるかもしれませんが、それはまた別の話です。

一方で批判の主体が現役プレイヤーである場合は、当然ながらそれを重く受け止める必要があります。ゲーム性をつまらないと感じる人の存在は、そのゲームの未来に直結するためです。

私は、この批判の主体として次の三つを想定しています。

  • 遊戯王をやっていない観戦者

  • 遊戯王を昔やっていた観戦者

  • 遊戯王を現在やっているが退屈さを感じているプレイヤー

最初の二つは観戦者なので、私としては最悪無視してもいいと思っています。一つ目は非プレイヤーの感想としてある意味妥当だと思っていますし、二つ目は大抵既に悪霊と化してしまっており人間には戻せないので。

重要なのは三つ目の、「現在プレイしているけれど遊戯王に退屈を感じているプレイヤー」です。彼らを悪霊化させないことは、この先もできる限り長く遊戯王というゲームが存続していくためにも重要なことだと思います。よって、本記事では、主に現在の「遊戯王という運ゲー」に退屈を覚えている層に向けて、そう感じる原因の分析と対処法の提案を行いたいと思っています。

何だか偉そうな物言いになってしまっているので先に予防線を張らせてください。
実は私自身、MDで復帰したての頃、ヌメロンをよく使っていた時期にこの「遊戯王は運ゲー」という心境に陥ったことがありました。勝っても引くもん引いただけだし、負けたのは引くもん引けなかっただけ、しょーもな、という具合です。周りにもそういう理由でMDを辞めていった人たちが何人かいました。
それでもそこで遊戯王をやめずに現在まで楽しくプレイできているのは、良い時期にうまく考え方の方向転換ができたからです。
その方向転換のきっかけとなるような考え方を本記事では提示し、遊戯王を末長く楽しんでくださる方が少しでも増えれば良いと思い、この文章を書いています。

「運ゲーでつまらない」の詳細

運ゲー肯定派が「遊戯王は運ゲーだからつまらない」と感じる理由には色々あると思いますが、やはり一番大きいのは、遊戯王の試合が理不尽の押し付け合いになりがちなことだと思います。

遊戯王はカードパワーがインフレしすぎた結果、勝敗を決める天秤に乗せるおもりの一つ一つがあまりに重くなっており、形勢が傾く際にはそれはもう豪快に傾きます。先攻は最初におもりを載せつつ相手を妨害する権利を持っているため、やはり揺るがない優位に立っており、一方的に勝利することも多々あります。

しかしながら、先攻が押し付ける理不尽が毎度通るだけのゲームでは誰もやりません。後攻側も先攻の理不尽に対抗できる理不尽を与えられています。例えば羽根サンボルライストリブートなどの、ほぼノーコストで打てる典型的な捲り札は、1:n交換というゲームセット級のバリューが出せるポテンシャルを持ちつつ後攻の強さを保証しています。

結果、理不尽と理不尽がぶつかり合い、双方が何も考えないでプレイするとカードパワーのメンコになりがちな点が、遊戯王に「引いたか引かないかの運ゲー」という印象を与えがちなのかなと私は思っています。細やかなプレイよりも強いカードを叩きつけられるかで勝負が決まっているように見えてしまうわけです。

先攻取られて理不尽を引けていなかったら負け。

先攻取られていたけど猿ハンだったから勝ち。

先攻を取って理不尽を引かれていなかったから勝ち。

先攻を取ったけど相手が猿ハンすぎて負け。

このような認識のまま遊戯王を続けていると、やはりすぐに飽きがしてしまうのかなと思っています。現在、「遊戯王という運ゲー」にうんざりしている人も、このパターンは多いのではないでしょうか。

対処法

中長期的な勝率の向上を目指す

一つの有効な解決策としては、一試合のうちの理不尽(=運ゲー要素)は仕方ないものと割り切って、中長期的な総合勝率の向上を目標に取り組むことだと思います。

たとえば、ある日罠デッキで5伏せした時に羽根ライスト等をぶっ放されて全てを失ったとします。

この出来事に対し、ムキになって「対策札」として天獄の王や神の宣告をガン積みし始めると、結局は以降の試合を「対策札を引いた・引かなかった」の視点で見がちな状態になり、理不尽に見舞われるごとに精神が疲弊してしまいます。

そこで、初めに一歩視点を引き、今の負けが仕方ないものだったか、中長期的な勝率に大きく関わるものだったのかを分析するのが良いと思います。

出会ったバック除去が環境の動きに原因するものだと分析するなら、勿論対策を厚くするのも良いと思いますし、単純にバック除去の採用率が高いデッキと当たっただけ(なおかつそこまで数が多いデッキでもない)なら、天獄の王など「バック除去へのカウンター」以上の役割を持ちにくく、バック除去が少ない環境では勝率を落としかねないカードの採用は見送るべきであるかもしれません。

とにかく一試合ごとの「運」に付き合うことなく、総合勝率という「実力」を軸に据えて思考することで、「運ゲーしょーもなスパイラル」からの脱却の足がかりになると思います。

「運」を想定して納得する

先ほどは「運」を突き放す考え方を紹介しましたが、相手の「運」の内容を事前に想定して納得感を得る考え方もあります。

たとえば自分の先攻展開に対して相手の拮抗勝負を喰らい、リソースがほぼ全て消し飛んで負けたとします。この場合、ただ単に相手の引きが強かったと考えるだけだと、「運だけ」思想に陥りがちです。

自分があるデッキを持っていて、そのデッキのテンプレート的なリストと、そのリストから吐き出される理想盤面があるとすると、毎回その理想盤面を作るだけではやはりパワカメンコするだけのゲームだと感じがちだと思います。その盤面で対処できないカードが飛んできた場合に「ただ相手が握っていただけ」と感じてしまうからです。

しかし、テンプレ展開から一歩進んで、環境に存在するデッキやカードを想定しつつ最終盤面を調整してみるなど、事前に相手の運の内訳を考えてみるとどうでしょうか。極めて単純化した喩えをするなら、「現環境だと〇〇は何%、××は何%、▼▼は何%の確率で飛んでくるため最終盤面はこうするのが一番勝率が高い」といった思考を事前に行っておくわけです。

勿論全てのカードに対応するような展開は難しいですが、対策すべきギミックや札をあらかじめピックして、それらと出会う割合を鑑みつつ総合勝率が最も高くなるように事前に理論づけてさえいれば、時たま出会う理不尽にも穏やかな気持ちでいられるのではないでしょうか。

運の内容をしっかりと想定し「自分は最も期待値の高い構築とプレイをしている」という確信のもとにプレイすることで、理不尽によって精神が疲弊することは少なくなると思います。

「運ゲー」と感じにくいデッキを一度経験してみる

そういうデッキを馬鹿にするつもりはないですが、「引いたか引かなかったか」の勝負になりがちなデッキは確かに存在すると思っています。

具体的には、ギミックの動きによって相手の盤面への回答をデッキからある程度自由に引っ張って来れるデッキと、相手の盤面への回答となるカードは十分な枚数が入っているが素引きを前提とするデッキの両者を見比べた時、後者の方がより「引きだけ」に感じがちです。

これはどちらが強いという話ではないし、どちらが偉いという話でもないです。ただ、今現在後者のデッキを使っていて遊戯王に退屈さを感じている方には、ぜひ前者のようなデッキを一度経験して欲しいと感じます。オススメは今のMDだとEM魔術師やドライトロンです(勝てるかどうかの基準では選んでいないのでご注意を)。

やはり素引きというのは結局運で引いただけのカードでしかありません。しかし、自分で選択してカードを手札に揃える場合は、勝っても負けても「自分のプレイのせいだ」と納得感を得られ、「引きだけ」という気持ちになりにくいです。


以上が、私なりの「遊戯王という運ゲー」との付き合い方です。人によっては「当たり前のことを何を偉そうに」と思うかもしれませんが、自分はこういった思考の方向転換により遊戯王がとても楽しくなったので、紹介してみた次第です。

おわりに

なんだか自明なことをつらつらと述べている気もしますが、こんな感じで終わりたいと思います。

明日のアドカレもまた私が担当です。死にそうですが頑張って記事を出します。

では、また明日。

翌日の記事です

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