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現代遊戯王は対話が少なくなったのか?【遊戯王Advent Calendar B side19日目】

※この記事は遊戯王 Advent Calendar の企画記事になります。



はじめに

まずは簡単に自己紹介を。

初めましての方は初めまして。キャベツです。

普段は基本MD勢で、延々とライトロードを擦っています。環境で勝つことを目標としており、以前にはトリシューラを連打する未界域ライロを使用し、MDのCSで優勝、準優勝しました。

また、最近はきのこ(https://twitter.com/xiaogujianren1)さんのライロを作って紙にも参入しました。

Tier表に載っていなくとも自分の好きなデッキを握ることに拘る点ではファンデッカー寄りの存在だと思うのですが、勝ちへの拘りも多分そこらのガチデッカー並にはあるため、どっちつかずのよく分からんプレイスタイルになっています。よければ過去記事やTwitter等を覗いてみてください。

さて、自分語りはこの程度に。

今回は、恒例となりつつある遊戯王Advent Calendarの一記事として本記事を執筆させていただきました。

今年の遊戯王アドカレは、明るく楽しいエンタメ系のAパート、議論啓発センシティブ何でもござれな可燃性のBパートに分かれて連載されています。

前日Aパート

普通にためになる話でした。-(マイナス)で指定した語句を検索から除外できるのしゅごい。

前日Bパート

デッキを1から組むの苦手なのでぜひ真似したいです。


そして、本記事は可燃性のBパート19日目を担当いたします。

つまり、そういうことです。

まあ別に燃えるようなことを書くつもりはありませんが、せっかくの何を書いてもいいBパートですから、言葉を濁すつもりはありませんので、その点だけご承知お願いします。

それと、先ほども書きましたが私は基本的にMD勢なので、MDでの経験を下敷きに話をします。「紙では云々〜」という説教はno thank youでシクヨロです。

千年血戦編はアニメで初見なので毎週楽しみにしています

では本編をどうぞ。

(12/19 20:58編集中追記)
めっちゃ急いで書き殴ったので文字ばかりになってしまい大変申し訳ありません。全部DCってやつが悪いんです。


本記事の主題

今回のテーマはズバリ、

遊戯王は昔に比べて対話が少なくなったのか?

です。せっかくなので議論系のBパートっぽいネタを持ち込んでみました。


さて、最近MDに神碑が実装されてからというもの、”対話拒否”という言葉がTwitterのTLにかなり増えたような気がします。

主に展開系の強固な先攻制圧や永続罠によるロック等「相手に何もさせないデッキ」に対して以前からよく使われてきた言葉ですが、神碑のデッキデスという奇抜な戦略や永続罠との相性の良さにキレ散らかした方々が「対話拒否デッキ」と愚痴っているのが原因なようです。

デッキなくなった神碑死ね

私は神碑をかなり対話するデッキだと思っているんですが、そこは今回の論点ではありません。

神碑の話題を通じて遊戯王の対話について考えている時、ふと私は「遊戯王で対話拒否という概念がメジャーになったのはいつからだろう」という疑問を抱きました。

遊戯王の歴史はインフレの歴史であり、先攻展開は時代と共にその強固さを増しています。”対話拒否”と呼ばれる盤面を作るようなデッキは増加の一途を辿っていますし、それに伴い”対話拒否”の概念も最近になるほど広まっていると予想されます。

まあ、頭の中で考えていても仕方ないので、とりあえずTwitterで検索してみましょうか。

「遊戯王 対話拒否」の最古の検索結果は2014年に発見されました。

「最近の遊戯王は対話拒否してる」とのことなので、少なくともこの方は遊戯王において対話が減少していると感じているようです。

もう少し時代を先に進めてみます。

次に見つかったのは2017年の3件。一番下のマスPへの愚痴以外は遊戯王以外の話題な気もするので実質1件でしょうか。まだまだ対話拒否がメジャーになっている様子はありません。

お次は2018-2019の一年。ツイートは一気に10件まで増えました。次第にメジャーになってきたようです。

結界像ビートのkodaiさんいますね

この後、2020、2021、2022と検索を続けるとその数は一気に増え、とても拾いきれない量の検索結果が吐き出されました。

すなわち、”対話拒否”という概念が遊戯王界隈に広く浸透したのはここ数年の出来事であると考えられます。

YPのTwitterユーザー増えただけじゃね?とか、”対話拒否”という言葉が浸透しただけで概念自体はもともとYPの間で共有されてたんじゃね?とか別の可能性も色々考えられるガバガバな推論ですが、お祭り記事なので許してちょ

なぜ”対話拒否”が近年になって広まったのか。一つの大きな要因として、やはり先に書いた「”対話拒否”的な盤面を作るデッキが増えたから」という理由が考えられるのではないでしょうか。

書くまでもないですが、”対話拒否”が増えたということは、そのまま対話が減ったことを意味します。ゆえに、

現代遊戯王は昔と比べて対話が少なくなった

と、そう結論づけるのもおかしな話ではない気がします。

しかし、本当にそうでしょうか? というのが今日のメインのお話です。


そもそも対話って何?

これを把握しないことには議論が始まりません。

さて、まずは私なりの結論から先に述べさせていただきます。

私は、(現代)遊戯王の対話とは、突き詰めると

互いに妨害の使い所を考えること

だと思っています。

……はい。言いたいことはわかります。

その妨害のせいで現代遊戯王から対話がなくなったんだろ!
とか
ガチデッカス乙w
とか。

話がしたいよ(4万能無効2モンスター効果無効1破壊1墓地送り結界波無効一滴罠捨て強要)

まあまあ、とりあえず話を聞いてください。

まずは対話という語の辞書的な意味を調べてみます。

対話-たいわ-dialogos
広義には2人以上の人物間の思考の交流をいい,広く文学的表現法として用いられるが,特に哲学では問答によって哲学的主題を追究していく形式。(以下略)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「対話」

重要なのは「人物間の思考の交流」という部分です。

遊戯王における思考の交流とは何か。遊戯王は対戦ゲームなので、当然ながら思考は自身の勝ちを目指すための内容になります。

サッカーでもバスケでも将棋でも、勝負事ならなんでも同じですが、勝つために考えることは、いかにして「自分の動きを通し」つつ「相手の動きを阻害する」かしかありません。

つまり、遊戯王における思考の過程は次の二つの問いが繰り返されることだと考えられます。

  • 私はこういう動きをしたいのですが通りますか?

  • 私は貴方のその動きを邪魔したいのですが通りますか?

個々のプレイヤーが心の中で繰り返すこの問いが、盤面上のプレイを通じて伝わり合い、問いと答えの報酬、すなわち「互いの思考の交流」が発生すれば、そこに”対話”が生まれます。

そして、この二つの問いは鏡合わせの関係にあり、結局これらの問いへの答えは「妨害を使うかどうか」になってくるため、結論すると

遊戯王における対話とは互いに妨害の使い所を考えること

となるわけです。

なんだか国語の授業みたいになってしまいましたね。


対話が発生する試合とは?

次に、前項で提示した対話の定義に基づき、対話がある=妨害の使い所の駆け引きがある試合がどのようなものか考えていきます。

対話がある試合とは何かを知るために、対話がない試合を考えるところから始めてみましょう。

まず、脳死で妨害を使っても相手を止めきれてしまう完全封殺の盤面は、妨害の使い所の駆け引きが発生せず対話がないと言えるのではないかと。

これに関しては全盛期の宣告者ドライトロンをイメージしていただければわかりやすいと思います。

あのデッキはアルデクを構えた上で手札にイーバ効果込みで相手の手札とほぼ同数の天使を握れるため、結界波や一滴、壊獣等の特殊な捲り札が無い限り、どれだけ手札が良くても突破することはほぼ不可能です。

また、宣告者ドライトロンほど極端でなくとも、現代の展開系デッキの大半は動けさえすれば完全封殺に近い盤面を作ることができます。こうしたデッキに一度盤面を形成されてしまえば、ほとんどのデッキは動こうとしても全て止められてしまいどうしようもありません。結果、妨害の駆け引きがない、対話のない試合になってしまいます。

やっぱり現代遊戯王は対話少ないじゃん!と思った方もいるかもしれませんが、それについては後に議論します。

さて、対話が発生しない試合は完全封殺の他にもう一種類存在します。それは相手の動きを全て素通しする試合です。

これはちょっと直感に反するかもしれませんね。

たとえば、「カジュアルで妨害するな!お互いにやりたいことやろうよ!」的な試合がこれに当てはまります。

妨害をせず相手に干渉しない。それぞれのプレイヤーが自分のやりたい動きをして、バトルフェイズにお互いの場に並んでいるモンスターの攻守を比べるだけでデュエルが進んでいく。

私的には、こんなデュエルはむしろ対話拒否に思えてしまいます

自分のしたいことをするだけなら対戦する意味無くないですか? それこそ一人回しと何が違うのかわかりません。ドローというランダムな変数と互いが相手の盤面に干渉し合うプレイが合わさって、次々と多彩に変遷していく試合模様こそ対戦の醍醐味であって、自分の動きを好き勝手に通すだけならばそれぞれが勝手にオナニーして気持ちよくなっているのと変わらない気がします。

というわけで、妨害を構えすぎて相手を封殺してしまっても対話は生まれませんが、逆に妨害を全く無くしても対話は成り立たないと私は考えています。

となると、対話の成立するデュエルをする上で重要なのはターンプレイヤーの手数と相手の妨害数が拮抗することだと言えるのではないでしょうか。

溢れるほどの妨害を抱えていないからこそ相手は軽率に妨害を打てない。一方でターンプレイヤーも手数が有限だから相手にどこで妨害を打たせるのか考える必要がある。そこに両者の思惑の交流が生まれ、妨害の駆け引きが発生するのではないかと思います。

以上が私の考える「対話が発生する試合」です


現代遊戯王は対話が少なくなったか?

ようやく本題。

では、先攻でn妨害の制圧を構え、妨害と手数の拮抗を損なってそうな近年の環境デッキはやはり対話拒否なのでしょうか。

私は違うと思います。

だってあるじゃないですか、後攻0ターン目でも使える妨害。

手札誘発という名の妨害が。

そりゃ現代遊戯王において無抵抗で展開系等に先攻盤面を作られてしまえば、殆どのデッキで対話が発生する余地はありません。しかし、勝ちに行くために組んでいて、誘発を普通に運用するデッキであれば、後攻0ターン目の初手に高確率で手札誘発を握れる構築にしているのではないでしょうか。

後攻1ターン目以降も対話を続けるために、後攻0ターン目から手札誘発で対話をするのが現代遊戯王なんです。仮に手札誘発を握れず盤面を作られて負けたとしても、それは事故です。カードゲームに事故はつきものですし、事故れば負けます、割り切りましょう。

「手札誘発は後攻のデュエルへの参加権」と言われることがありますが、後攻を手札誘発に頼っているデッキにおいてこの言葉はある程度真理を突いていると思います。個人的にはあまり好きじゃないですけどね。

とはいえ、これだけの根拠で「だから今の遊戯王にも対話はある!」と結論づけるのはかなり乱暴な気がします。後攻は手札誘発を引けていなかったら対話できない、みたいな話の流れですし。

なので次は、誘発を握っていなくても先攻制圧に対し対話が発生しうる場合を考えてみます。

これは、手数に重きを置いたデッキが好例になるでしょう。

誘発を運用するデッキは手数を削って誘発を入れ、後攻0ターン目からの妨害により後攻1ターン目における相手の妨害を減らすことを目指します。一方で、後攻1ターン目の手数に振っているデッキは、相手に展開を許した上で、その妨害を手数で超えていくことを目指すわけです。

どちらのデッキタイプにしても妨害と手数の拮抗により対話が生まれる余地は十分にあります。ゆえに、たとえ環境デッキの最終盤面がいくらえげつなくなったところで、現代遊戯王から対話が消滅するわけではないし、対話拒否デッキとも言えないと思います。

ちなみに、環境デッキに対してカジュアルデッキを握ってボコボコにされたからと言って「対話拒否」と文句を言うのもやはり違います。研究者とそこいらの中学生が学問について真剣に話そうとしても会話が成り立たないのと同じで、遊戯王も同程度のデッキパワー同士でないとやはり一方的な試合展開になり対話は成り立ちにくいです。別に環境デッキが対話拒否デッキだったわけではなく、単純に駆け引きが生まれようもないほどデッキパワーに差があったと言うだけの話です。

現代遊戯王においても対話が健在であることは述べましたので、次に、現代遊戯王は昔の遊戯王と比べて対話が減ったのかについて考えていきましょう。

ただまあ、私は遊戯王を本格的に始めて日が浅いので、昔の環境をよく知りません。なので、昔の環境はこうでこういうゲームが成立していたから対話の量を比較すると〜みたいな分析はできません。エアプなりに全盛期エクゾディアがかなりアレだったこと等は耳にしていますが、軽率に話すと多分怒られるのでやめておきます。

というわけで、具体例では無く一般論の方向から今と昔の遊戯王の対話量について考察してみます。

対話が手数と妨害数の拮抗により発生することは繰り返し述べていますが、では発生する対話の量に関わってくる変数は何でしょう。

一つに、妨害数と手数の単純な数はあると思います。1妨害と2手数の攻防よりも5妨害と6手数の攻防の方が、それだけ妨害の使い所に関する駆け引きの量が増えるのは考えるまでもなく分かります。

また、妨害や手数の中身も重要になってくると考えられます。たとえば手数や妨害のうち、そのバリューやタイプに幅広いバリエーションがあれば、手数をどの順番、どのタイミングで繰り出すか、妨害をどの一手に当てるかという駆け引き=対話がより豊かで複雑なものになります。

この二点を対話量を決定する変数として考えれば、単純にカードの種類が増えた上にカードの効果も複雑化、多様化し、妨害数も手数も共に昔より確実に多く用意できるようになった現代遊戯王は、デュエルの高速化によってドローによるランダマイズの影響が減少していることを加味しても、対話が昔と比べて増加する要因は十分に揃っていると言えるのではないでしょうか。

以上の分析に基けば、現代遊戯王は昔と比べて対話が減少したか? という問いに、素直にYesと答えるのは難しいと私は考えます。まあ一歩間違えれば気軽にどうしようもない盤面作られるようになったので、Noと言い切るのも難しいんですけどね。

でも、少なくともアダマシアやspyral、宣告者ドライトロン等先攻ぶん回しデッキの最終盤面を見た印象だけで「現代遊戯王は対話拒否ばっか」とdisるのは軽率な行動ではないでしょうか。

(12/23追記)

今回の議論では「遊戯王には対話があった方が良いよね」という話はしていないことに留意してください。私は少なくとも大会シーンの試合には対話など必要ないと考えています。そりゃ対話できた方が楽しいですが、大会で何より優先されるのは勝利です。ラウンチカリユガも御前割拠もシャングリラ5面封鎖も全て許容しますし、逆にこちらも6ロンゴミや全ハンデスでクソゲー仕掛けます。

しかし、カジュアルでは駆け引きが成り立つようにデッキパワーや妨害の質を調整した方が楽しくて良質な試合になると思います。私がカジュアル用に組んでいるデッキの一例はこんな感じです。

強力な永続罠を抜き、盤面を取る粒妨害やリソースの確保を行うカードを投入した除去ガジェ風味の真竜です。盤面をロックしないし返されても後続が確保できているため、デッキパワーさえ合っていればいい感じにプロレスが成り立ちます。

(追記分終了)

本編は以上です。

最後に自分語りを少しだけ。

確かに現代遊戯王はインフレも進みえげつないムーブをされることも増えましたが、私は昔の遊戯王よりも今の遊戯王が好きだとはっきり断言できます。だって昔よりずっと考えることが多くて楽しいじゃないですか。誘発ケアはもはや必須レベルの技術ですし、相手のサーチ先から手札を予測したり、負けにつながる裏目をくまなく潰したりするのも面白いです。昔はそもそも知識さえなかった優先権も、今やたった一つ見逃すだけで勝敗に直結します。

運ゲー、先攻ゲーと言い切ってしまうにはあまりに惜しい、奥深いゲーム性が現代遊戯王にはあると思うので、昔の綺麗な思い出を懐かしむあまり今の遊戯王を貶すのではなく、面白い点を自分から見つけにいくような取り組み方をするのが良いのではないでしょうか。


おわり。


明日のアドカレ記事

Aパート:Yugioh-hackさん
Bパート:de0さん


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