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長期の不妊治療から妊娠、出産までを振り返る③いよいよ出産

危うく帝王切開!?

BGMにTBSラジオを選び、聞き慣れたジェーン・スーさんと小笠原アナの声に気持ちが落ち着いてきた一方で、血圧が上がってきてしまいました。一時140を超えたとき、「こうなると帝王切開も視野に入ってきます」と言われかなりビビりました。帝王切開は自然分娩よりも避けたかったです。いろんな出産方法があるなかで無痛分娩を選択しましたが、一番つらいのは帝王切開だと個人的には思います(経験してないけど)だってお腹を切るんですよ?

どうやら血圧上昇の原因は呼吸がうまくできていなかったからのようでした。痛みに耐えるとき息をするのを忘れてしまっていたようです。陣痛が来たときに深呼吸することを心がけたら、麻酔もどんどんスイッチ押してたらようやく血圧も落ち着いて来ました。

いつのまにか子宮口全開

その後内診を何度かし、途中破水して、夫を召喚。その後6cmから一気に全開となりました。
全開になったとたん分娩室はバタバタ。分娩の準備が始まります。助産師さんらの指導のもといきみの練習をはじめますが、私の横で助産学生(学生がつくことが前日決まったんです、そのことは別途詳細書こうかと)が呼吸の音頭を取ってくれてたのですが、なんか私の呼吸とリズムが全然合わない……「自分のペースでやっていいですか!?」と半ばキレ気味にやめてもらいました。
そこからは集中して……と思いきや、ラジオからリスナーメールを読むスーさんの声「離婚に向けて動き出しました!イエーイ!!」で思わず笑ってしまいました。集中しろ自分!これからかわいい我が子を迎えるというのになんちゅー話題で笑ってるんだ!

いよいよ本番!我が子と対面へ

いよいよ本番のいきみへ入ります(これがちょっともう記憶あやふや)ここからお腹の張り(陣痛)がよくわからなくなってしまい、なんとなくこのタイミングかな?でやってました。後から聞いたら陣痛が弱まっていたようです。
陣痛はよくわからないけれど、赤ちゃんを押し出すためにいきみに合わせて別の先生(副院長)がお腹を押してくれるんですが、それが一番痛かったです……。
途中から吸引もはじまったようです。出てきそうで出てこない……そんな反応が取り上げてくださる先生から見えました。

実際、いきんだのは5〜6回?で、「もう手に胸を置いてください」となりました。(実際は聞こえてなくて、横の助産師さんに手を促された)
で、いつのまにか娘が出てきていました。

自然と涙が出ました。
後ろから夫が泣いている声が聞こえました。

一瞬、胸の上に置いて顔を見せてくれました。まだ血まみれの状態。
でも、目も鼻も口も耳もある、手足もちゃんとある、と確認していました。(どうしてそう思ったのかはわからない、エコーで見えてはいたものの、やっぱり実際目の前にすると、それが強固なものとなりました)

その後私の胎盤もスムーズに出てきました。
娘は後ろに連れて行かれ、小児科の先生や看護師さんにもろもろ処置され、おむつをして帽子をかぶり、服も来ていました。

色が白い、指が長い、爪も長い、毛深い、そして声がめちゃくちゃかわいい。
ずっと見ていて飽きない、と夫が言っていました。

私は会陰を縫われたり(いつ切られたのかわからない)学生さんと話したり。でも後ろに見える娘が可愛くて気になって仕方なかったです。

その後、夫が帰り、娘も新生児室へ。私は眠気に襲われました。
子宮収縮がまだ進んでないため分娩台でしばらく過ごすことになり、1時間くらい寝た後、分娩台で夕飯を食べました。

貧血状態が続いていたため点滴をしながら病室に戻り、トイレ、歯磨きをよろよろになりながらクリアしました。吐き気と微熱がありました。

そこからなかなか眠れず、真夜中過ぎにうとうとし始めた矢先、会陰切開の傷が痛み始め、堪らずナースコール。ロキソニンでなんとか痛みを鎮め、眠りについたのでした。

無痛だったので痛みはほぼなかったけど、これまでの人生で一番疲れました。

出産までを振り返る、は一旦終了。次は助産学生とモヤモヤ過ごした入院生活について書いておこうと思います。

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