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プラトンとソクラテス
コンニチハ!酔うと今まで我慢していたのがなかったように食べまくって胃もたれになる春日です。
#いい加減気がついてくれ ‼️
さて本日はプラトンとソクラテスについて。
プラトンとソクラテス
古代ギリシャの哲学者であるソクラテスとその弟子のプラトンについて。
ここではどんな人物かどんな関係性かといった書物的な話ではなく、
彼らが扱うことばの意味づけについて自分が感じることを話していきたいと思います。
と偉そうに言っても間違えた解釈もあるかもしれません。
あくまでこじんてきな見解として「へー。そうなんだー。」とYahooニュースを流し読みするくらいの感覚で読んでくれたらありがたいです。
ソクラテスは著者として何か書物を残していないというのは有名な話だと思いますが
これには彼なりのポリシーみたいなものがあって
彼は対話から生まれる生きたことばを大切にしていたと言われています。
書物に残した時点でそれは死んだことばになってしまうと。
誰かと対話する中で自分の考えや思いが生まれててくると考えていた。
(なんかものすごくカッコいい。抱かれたい)
逆に弟子のプラトンはことばとして書物に残すことで後世に行き続けることばを重んじる方。
正直誰がいうとかってことは関係なくてことばとして残し、
受け取った人が意味づけを考えるものだという考え。
例えば
ダウンタウンの松本さんはボクにとってはめちゃくちゃ面白い、もう天才的な人。
おそらく僕ら世代(アラフォーおっさん世代)より上の方は同じ感覚だと思う。
でも20歳のピチピチ世代からするとテレビ界で力を持っていてなんかいつも芸人さんのことばに笑っている人で
テレビに出てくる人がみんな神として崇め、ずっと笑ってる人って見えているかもしれない。
(彼らからすれば第7世代が面白い人になっているのかもしれない)
状況、意味はそれぞれ違う。
プラトンは極端な話誰が言うことが重要じゃなく何を言うかが重要。
ソクラテスは誰が何を言うかが重要でそれは対話によって生まれる生きたことばだということ。
似ているが違う。
皆さんはどちら派でしょうか??
ボクはソクラテス派で誰が何を言うかが非常に大事だと思っている。
同じことばでも立場が同じ方から言われるのと
全く違う立場から言われるのでは伝わり方が極端に違う場面が多々あります。
これは相互の関係性であったり、置かれている状況だったり様々な場面で変わってくる。
組織に属しているとよくわかると思うのですが
内部から伝えた方が効果的なこと
逆に外部から伝えた方が効果的なこと様々です。
ボクはこの誰が何をいうかを非常に大事にしていて
仕事のなかで自分が言っても効果的じゃないことは他の方にいってもらうよう工夫したり
逆に自分が言ったほうがよいと思うことはその方とコミュニケーションとってどんなふうに伝えるべきかを考えたりします。
ここで確認しておきたいのはどちらがよいって話ではないと言うこと。
書物としてことばを残す意味はもちろんある。
ボクもこうしてブログを書いている。
時に誰かに宛てて書いたものもあれば、自分の考えを整理しながら書いているものもある。
どちらもボクにとっては生きたことばを作っていく大切なものになっている。
生きたことば
ボクが思う生きたことばってのは相手との対等な関係が気づけている状況下のなかでのコミュニケーションから生まれるものだと思っています。
一方的な思いだけで伝えることばは生きたものではなく生かされていることば
生かされれている言葉はいつか消滅します。
もしかしたら届かなかったり、形を変えて全く違う意味で伝わったりする。
生かされたことばには、生きる為に餌もあげなければいけない
だからこそ労力がすごくてコスパが非常に悪い。
生きたことがことばであれば一方的ではなく、対等な関係性なので
その人の中でずっと生き続ける。
時にその人を支えたり、その人から誰か別の人へ伝わることばになっていく。
ことばは無限なのだけれどもし有限だとしたら限りがあるのならばステキなことばを使いたいし選びたいなと
思います。
ではまた。
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