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「時間が足りない」と感じるわけ

「時間が過ぎるのが怖い」と思うことがよくある。

いま、何をやるべきか考え悩んでいる間にも時間は過ぎてしまう。

おそらく「いちばん先に何をやるべきかかわからない」というのは、取りも直さず目指すもの=ゴールが見えていないからなのだろう。

そのゴールを見つけようとしながら、また時間だけが過ぎてゆく。そうしてまた焦る。


じつはこの焦りのせいで、このところ趣味の自転車にまったく乗れていない。
というのも趣味に興じることで「やるべきこと」が停滞してしまう気がして、自ら制限してしまうから。

そうするともう一方で「自転車に乗っていない焦り」が生じてしまい、2つの焦りがせめぎ合う状態に居続けることになる。

では私が自転車に乗らないとなぜ焦るのか。

趣味とはいえ、自転車では「1日100km」「月間1000km」などのノルマを長年自分に課してきた。最近は天候不順や、noteを頑張りたい事もあるため少し基準を緩めているけど、それでも乗れていない罪悪感に苛まれる。

じつはSNSで私の自転車投稿を楽しみにしている人が多い。写真をふんだんに交えライドレポートをするたびに、たくさんの方から温かい応援メッセージを頂いている。だから乗れないと投稿できない、という自責の念が生まれてしまう。

ただ本音を言うならば、今は自転車よりも書くことの方が楽しい。だから時間が足りないと感じるときはライティングの方を優先したいのだ。

この趣味のノルマ化問題は早急に解決したいけれども、その場合趣味そのものや人脈の断捨離にも繋がりそうで、それもまた怖かったりする。


あと「時間が足りない」と感じるもうひとつの元凶は、私自身のこれまでの極端すぎる時短思考、効率主義にもあるように思う。

つまり時間と労力を掛けたなら、それに見合ったバック(成果)が見込まれなければ動きたくないという発想。それも可能ならできるだけ少ない労力で成し遂げたいという。

これが故に、次の一手が上記に該当しないと打てないということになり、結果身動きが取れなくなる。そしてがんじがらめの間にも時間だけが過ぎてゆく、というわけ。まったく、時短にもなんにも為っていやしない。

ただ実際には、盲目的にでも何かに打ち込んでいる時はこの焦りを感じずに済む。今でいえばこうしてnoteを執筆している時や、資格試験のために猛勉強している時など。ならば対症療法的に資格試験を宛がうのも手ではある。けど、頑張りすぎていちいち燃え尽きてしまうのが難点。


…いかんいかん。なんかこのところ気忙しくて冷静に物事考えられない。

自分の目指すところ=ゴールか、せめてそのヒントだけでも、見えてくればいいのだけれど。

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