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不登校4年から生徒会長になって、今の自分になった話#3『行きたくないなら行かなくていいといってくれた母』

こんばんは。ChaRiです。

前回までに私が不登校となった原因を書きました。今回は学校が嫌で、頭痛や腹痛を繰り返す私にとった母の行動です。

私は毎日のように頭痛、腹痛を繰り返しました。嘘かと思うかもしれませんが、本当に頭痛や腹痛はきます。病院へいって検査をされても当然異常が出ることはありません。

母は早い段階で気づいていました。私が精神的に来ている症状であることを。毎日学校に休みの連絡を入れ、回数が増えるにつれ学校からも「本当に熱があるのか」、「重い病気ではないのか」など様々なことを聞かれたようです。愛想が尽きた私の母は最後には「行きたくないっていうから行かせない」と言いました。

当時の学校側はこれを問題と思ったのか、いじめがあったのではないかなど、また新たなことを聞いてくるようになりました。私の母は答えませんでした。しかし、ある日、私に暴言を吐いていた子の母が謝罪に来ました。私も母も誰が暴言を言っていたなど言ってはいません。学校はわかっていたのです。私に対して暴言を吐いている人がいることを。当時の先生が本当はどんな人であったのか、今では分かりませんが、急に謝罪に来られたことに母は激怒しました。「そこまでわかっているならもっと早くやれることがあっただろ」と。私の母も元々は先生をしていました。「そんなところ行きたくないなら行かなくていい」と母は言ってくれました。

それから私は半年近くの間、家に籠るようになります。その間、母とも仲良く過ごしていました。おそらく父は学校に行かない私を良くは思っていなかったでしょう。会話は減っていました。しかし、父が「学校に行け」と言わなかったのは母が止めてくれていたのでしょう。

半年が過ぎ、私の中でも「このままじゃダメだ」と思うようになってきた頃、母が「不登校生が通う教室があるから行ってみる?」と言ってきました。これも母がいつの間にか準備していたのでしょう。『本人(私)が変わろうと思ったときにすぐ行動できるように、母は様々なプランを練っていた』と思います。

私には変わらなければいけないと思ったタイミングを逃さないように準備されていたプランがありました。今不登校をしている人も心のどこかでは「変えないといけない」と思っており、それを行動に移そうをします。その一瞬は必ずきます。その一瞬を見事に拾ってくれた母も見事ですが、学校に行くことが子どものすることと決めつけないで欲しいと思います。次回は不登校生が通う教室について書いていきます。そこで私は新たな出会いをし、楽しみも悲しみも経験します。そこでの経験は今の私が出来上がる多くのウエイトを占めています。不登校に悩む親御さんから、不登校している方、不登校を抱える先生や、不登校を研究する方々の多くに私の経験を知っていただきたいと思います。今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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