花束みたいな恋をした

今日私は、恋愛映画を一人で観にいった。昔から、恋愛漫画や映画は好きじゃなくてずっと避けてきたが、なんだか予告を見て気になった。

ツイッターでカップルでは見ない方がいいという感想が多かったからか、映画館には私と同じように一人で観に来ている人が多数いた。時間帯は、夜。席は空いていたが、偶然にも私の隣には一人で観にきてた黒い縁メガネをした男の人が座った。

結論を言うと良かった。なんとなく予想はしていた展開だが、なんだろうこの映画には他の恋愛映画には無い魅力を感じた。誰もが共感するであろう主人公2人の会話や景色、どれもが自分の中で重なり、そして飾られることなく淡々と自分を観ているかのような気分になった。

少々重い話にはなるが、誰もが思うとは思う。好きな人と、付き合うことになった日、付き合って数ヶ月経って一人で考える時や、二人で添い寝していて幸せを噛み締めている時とかに。

この恋どのくらい続くのかな。

私は、酷なことに付き合うことになったその日に、ああ。この恋も、いつか終わる。でもそれまでは楽しもう、だから付き合おうなんていう気持ちでカップルになってきた。恋愛は続かない。始まりは終わりの始まり。そう映画で流れた。そうだとしたら、なぜ人は恋を繰り返すのだろうか。それはきっと人間が一人で生きていけない生き物で常にどこか寂しさを抱え、他人からの優しさや温もりを求めているからかもしれない。

両親は離婚はしていないが一緒に住んでいない。二人を見て思う。どちらも幸せには見えない、切るにもなかなか切れない関係が続き中途半端な時の流れが過ぎていってる。だから、私もずっと考えてしまう、果たして永遠とかいうものはあるのかと。きっとまだ若くて幼い私の考えじゃこの程度までしか言葉に表せなくて、もう少し大人になればわかってくるかもしれない。

でも小さい時に家族でドライブをしていて大好きだったYUIのアルバムを流しながら父に聞いたことがある。”パパ、なんで歌って全部恋愛のことなの?”と。 父は笑っただけだった。その時はなんとも思わなかったが、今思う。きっと父もわからなかったのかもしれない。何が正解で不正解か、教科書やマニュアルが無く答えのない恋愛について人は永遠のテーマであるかのように何歳になっても語る。歌も、普段考えたり話されるような内容が、より美しく洗練された詞に書き換えられて歌になる。人はまたその歌を聴いて想いにふける。人がなぜ恋愛というものから離れられずにいるのかを父はまだ探っていたのかもしれない。どこか母親の恋愛感情が薄れつつあるのかなと考えながら運転して。

隣で座っていた黒ふちメガネの男は、正直言って、鼻息がとても荒い人だった。途中途中集中が途切れそうになった。でも、私と同じところで笑い、泣いていた。きっと昔付き合った彼女、または今付き合ってる彼女のことを思い出したんだろう。

この映画を観て思うことは人によってきっと違う。でも人が愛をテーマにした歌を日々聴いているように、この映画も別の形になってまた繰り返されその度に私たちは観に行く。恋愛という答えのないものの中に生き、ループは描かれていく。そしてそのループが最愛の1人と繰り返される日常をどうか生きたい。迫ってくる困難を乗り越える度に喧嘩しようと、次の日には笑っていたり、そんな繰り返しばかりの毎日を一緒にずっと過ごしたいと思える人と。まるで西野カナの歌の歌詞にあるような言葉だけれど、みんなが心の奥底では願っていることだったりしないだろうか。

映画を見終わって、父に連絡した。もし二人が別れることがあるのならば、その時は辛いことや悲しいことばかりでなく、楽しかったことや嬉しかったことなどを懐かしみながら会話してほしいと。せめて最後くらいはそうして欲しいと伝えた。

とにかく私は影響されやすい。だから恋愛映画は基本的には観ない。でも、観てこうやって心の中に沈めてた感情や言葉が溢れ出して私は今パソコンと向き合い記録し、父にも思いをぶつけられけた。

たまには観るのも悪くないと思えた。






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