見出し画像

Chara「命のまつり」その23~20代後半バブルがはじけ借金がやってきた

私が入籍した当時は、まさにバブル時代
夫の仕事も忙しくて、月100時間くらい残業をしてた。
体は疲れ切ってたけど、収入はそれなりにあった。
私も夜勤をしていたので、自由になるお金もそこそこあった。
けれど、お互いの仕事ですれ違いも多かった。

DINKs、「Double Income(共働き)No Kids(子どもを持たない)夫婦」の道を進んでいた。
別に子どもを持たないという選択をしたわけではなく、夫はただただ仕事に追われて消耗していた。
私は大学病院の手術室で働きながら、同僚と色んな科のドクターに誘われテニスや飲み会やら、旅行とか、楽しくやっていた。

病院の研修旅行でハワイに1週間、費用は全部病院持ち。
今思うと、バブルだったんだよなぁ~って感じ。
同じ病院から10人くらい行ってた。
現筑波大学名誉教授の宗像恒次先生がコーディネーターでハワイの病院を見学したり、AIDSの治療や心理的サポートをしている人の話を聞いたりした。
正直内容はあまり覚えてない。
このころは、手術や緊急領域で専門性を追求しようと思っていたし、普段患者さんと向き合って話したりする機会もなかった。
当時、救命救急士の国家資格ができた時、第1回目の試験を受け合格した。

そして、東京での生活8年目くらいだろうか
世の中でバブル崩壊の話題が盛んに耳に入るようになってしばらくした頃
夫の実家でもバブル崩壊の影響がでていた。
義父が株で大損をし、数千万円の負債を抱えていることがわかった。
家族会議のため夫が実家に帰った。
正確な金額は、私には言ってくれなかった。
夫の兄妹が協力して返済をすることになった。
20年だか、25年のローン

そして、しばらくして、私たち夫婦は夫の実家のある長野県に帰郷した。


...

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?