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モミジの花
うわー、なんて可愛い!
と心をわしづかみにされたのが、以下の記事で紹介されているモミジの花。
モミジの若葉に混じるこの赤色は確かに見たことがあります。でも新芽が赤いのだと思いこんでいました。
花だったんだ‥。
こんなに綺麗なのだから、日本の伝統色にもなっていそうと、最近愛用している『有職色彩図鑑』を取り出してみました。
あれ?
![](https://assets.st-note.com/img/1680003699613-soBW60UhUL.jpg?width=1200)
帯にそっくりな写真が載っていました。
今までなぜ気づかなかったんだろう。
若鶏冠木 わかかえで
カエデ(楓、学名:Acer)の若葉の色である。重ねには、若葉の緑色を表現したものと、若葉と赤い花を表現したものがある。『枕草子』では若カエデを「楓の木のささやかなるに、萌えいでたる葉末の赤みで、同じ方に広ろごりたる、葉のさま、花も、いと物はかなげに、虫などの枯れたるに似てをかし」と描き、緑と赤の組み合わせを賞美している。
若鶏冠木と呼ばれる重ねには、緑・緑と、緑・赤の組み合わせがあるんですね。
ところで本に載っていた重ねの色はカエデ、記事の中の写真はモミジ。
重ねもワカカエデではなく、ワカモミジだったらよかったのになあ。
いや、そもそも平安の人はモミジとカエデを区別していたのだろうか。
ということで、調べてみました。
カエデ
「カエデ」は葉の形が蛙の手に似ているから「かへるで」。それが「かへで」となったそうです。
わが宿に黄葉もみつかへる手見るごとに妹をかけつつ恋ひぬ日はなし
万葉集1623番
![](https://assets.st-note.com/img/1680006046649-98rIS28IxQ.jpg?width=1200)
モミジ
「モミジ」は、特定の植物を指すのではなく、動詞の「もみづ」の連用形「もみぢ」が名詞化したもの。
「もみづ」は葉が色づくこと。赤だけでなく黄色く色づく場合も「もみづ」。そのうち「紅葉」と書かれるようになり、特に紅葉の美しい「かえで」が「もみじ」と呼ばれるようになったのだそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1680006466849-sLMbXP3KLf.jpg?width=1200)
『全訳読解古語辞典』三省堂
四段活用から上二段活用に変化するとは、受験生泣かせ‥。
なお「もみづ」は、もともとベニバナなどから染料を水に揉みだすことを表し、染みだすように草木が色づいた様子が「もみぢ」なのだそうです。
モミジの赤は「おお、赤いなあ!」と色づいた葉を愛でる他に、紅色が水に染み出すように「だんだん色づいてきたなあ」と、日々の色の変化を楽しむ心根も潜んでいるのかな、と思ったりしています。
平安時代のモミジとカエデ
平安期に書かれた日本最古の庭園書、作庭記でモミジとカエデは区別されており、源氏物語少女巻では、光源氏の邸宅であった六条院の四季の庭にもモミジとカエデが書かれているそうです。
ということは、若鶏冠木の重ねの時代には、やはりモミジとカエデは区別されていたと考えたほうがいいみたいです。
モミジとカエデ
では、モミジとカエデは違うものなのでしょうか。
カエデの方が葉の形が太っているイメージがありますが‥。
実はモミジもカエデも、どちらもムクロジ科カエデ属の広葉樹(落葉高木)の総称で、植物の分類上は同じです。モミジとカエデは、葉の見た目で使い分けています。葉の切れ込みが深いカエデを「◯◯◯モミジ」、葉の切れ込みが浅いカエデを「◯◯◯カエデ」
呼んでいます。
植物の分類上は同じものでした。
葉の切れ込み具合でモミジになったりカエデになったりするのだそうです。
つまり、若鶏冠木の色は、モミジの若葉と同じと言ってよさそうです。
ああよかった。
春のモミジ(カエデ)も素敵ですね。
参考元:
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