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人と思いあう

暖かいなあ。
今日はこんな花が咲いている。

去年と今年とでは、別の花が咲いているはずですが、日々新しい花を発見するたびに、また会えたね、と再会を喜びたい気持ちになります。

とはいえ、昔誰かと交わした言葉の片鱗をふっと思い出し、当時の後悔が、わっと押し寄せてきたりすることが多いのもこの季節です。

先日、目黒川の夜桜を観に行き、noteでもご紹介しましたが、非日常的なあの風景の記憶をリセットしたくて、日中に川縁を訪れ、普段着の目黒川を目に焼きつけてきました。

提灯はまだ飾られていましたが、ほぼ普段の姿に戻った川沿いの景色。
提灯のかわりに建物が映り込む水面と花筏。

感傷的なのは苦手。
過去のことも忘れよう、今だ、今!

そんな勢いまかせの日々を送ってきましたが、山盛りの後悔の記憶にこのまま蓋をし続けていたら、私はまたいつか同じ失敗をしてしまうんじゃないの?
そう思い、過去の出来事と向き合う努力をしている今春です。

思い返せば、あの時も、別のあの時も、かけるべき言葉を誤っていたことがよくわかります。
寄り添って、思いを共有しなければならなかった時に、励まそうとして、笑い飛ばそうとした。そんな対応をされた相手はとても辛かっただろうな。

言葉の中に感じる風景の中の、その人の周囲に、他の人の姿が見えない時がたぶん危険信号。現実の世界で本当は必要とされていて、その人の周りには人がいるはずなのに、なぜか言葉の中にそれが感じられない。
そんなわずかなズレを、次はキャッチできるだろうか。


また前置きが長くなりましたが、ようやく今日のテーマ、大好きな本の一部をご紹介します。

国際アンデルセン賞受賞作家、上橋菜穂子さんの『鹿の王』。
ラスト近くの文章です。

 生の中には、必ず死が潜んでいる。
(それでも、そうして生きるしかない。かぼそい命の糸を切られてしまわぬように、懸命に糸をつなぎ直しながら)
 生まれて、消えるまでの間を、哀しみと喜びで満たしながら。
 ときに、他者に手をさしのべ、そして、また、自分も他者の温かい手で救われて、命の糸を紡いでいくのだ。

上橋菜穂子『鹿の王』角川書店

次は三浦綾子さんの名著『道ありき』から。

綾ちゃんは私が死んでも、生きることを止めることも、消極的になることもないと確かに約束してくださいましたよ。

一度申したこと、繰返すのは控えてましたが、決して私は綾ちゃんの最後の人であることを願わなかったこと、このことが今改めて申述べたいことです。生きるということは苦しく、又、謎に満ちています。妙な約束に縛られて不自然な綾ちゃんになっては一番悲しいことです。

三浦綾子『道ありき』新潮社

前者はファンタジー小説、後者は自伝。ジャンルもストーリーも全く違う作品ですが、大切な人と一緒にいることがかなわなくても、その相手が誰かと寄りそっていることを願う文章です。

大好きな人達といつも、いつまでも一緒にいられるわけじゃない。
一緒にいる相手が私ではない方がいい時だってある。
一番近い人だから言えないことだってある。

そんな時、こんなふうに人と思いあうことができれば。


夜桜の余韻はリセットしたはずなのに、うーん、まだ残っているみたい。シャキッとしよう。明日は週末だ!


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