正解・不正解のバトル

昔は何かと攻撃的だったし批判的だった。
本を読んでも、音楽を聴いても、観劇をしても、何か一部分を切り取って「駄目だ」と言っていた時期があった。
あの時は「自分が正しい」という思いに縛られていたのだろう。
そして「自分が間違っている」と思っているモノを受け入れるだけの懐も度量もなかったのだと思う。

その違いを受け入れるという事は、自分の守備範囲を壊してしまう事に繋がってしまう。
それって物凄く怖いし勇気が必要な行動だと思う。

ある時に「このままでは自分も含めて誰も幸せにならないじゃないか」という事に気が付いてから「批判する」という行為を極力、減らすように努めている。
どうしても自分の考えと相違がある時は「沈黙して受け入れるか」か「言葉にして話し合う」か「代替え案を持って提案する」かのどれかを選択するようにしている。

そのような生活を送っていると何となく視界が広がっているような感覚はある。
しかし、最近は広がりすぎて「じゃあ、結局、自分はどうなのか」という考えが分からなくなる時が多くなってきている。
だから、noteを始めてみたのだが、やっぱり読み手を意識してしまって「あ、今、萎縮して無難な考えを提示しようとしている」と思う瞬間はある。

インターネットの普及によって、多種多様の様々な意見を手軽に聞けるようになった。
ひとつのニュースに対してあっちこっちで言い争いをしている。
結局、立場が変われば意見も変わっていく。
凄く当たり前の事なのだが、依然と比較したら目にする情報量が莫大なので、もう迷いしか発生しない。
デジタルデトックスみたいなことをすればいいのではないかなぁ……とぼんやりと思ったりはするのだけれど。

「批判しない」と「自分の意見を述べる」という事の上手なバランスの取り方がわからなくなってきている今日この頃。
でも、少しずつは「意見を述べる」事もしていかなければならないし、その訓練も必要だと感じている。

だから、今日も明日も、noteを書きながら自分の思考を彷徨いながら言葉を探し続ける訓練をするしかないのだろう。

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