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母と過ごした2ヶ月半

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2022年8月。私は27歳、母は59歳。急に足が動かなくなった母は、ガンが脳に転移しており、余命1,2ヶ月と宣告される。私は仕事を休み、自宅で母の介護がスタートしました。母と過ご…
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#介護

41 もとどおり

人って、明日死ぬってわかってても 髪を洗いたくなるんだね。 朝起きて、 母はニコニコしながら私につぶやいた。   笑ってしまったよ。 髪、無いけど笑 (抗がん剤のため) と思ったけどそこは言わない。 おちゃめに言うんだもん、以前のように。 でも 元気な母は、2日間でいなくなった。 最後の力はそう長くは続かない。 ちゃんとネット記事に書いてあるとおりになるもんなんだね。 ほとんど眠っている母に戻ってしまったよ。

40 母が歩いた日

母は寝たきりで、もちろん歩けない。 「歩けないから、体を動かす機会がなくてますます弱ってしまう。だからせめて手を動かしておくか」 なんて言って、腕の体操をしていたこともあった。(手もだんだんしびれが酷くなり、動かせなくなってしまいましたが。) 退院したての頃は 「歩いた夢を見たよ!」 と、話していた。 しかし、ラストラリーに突入し、母は言い出した。 「歩いて2階まで行ったんだよ」 「キッチンまで歩いて行ってきたよ」 「私も知らなかったんだけど、いつのまにか歩け

33 思い出の一杯

「実家に行きたい」と伝えてくれた翌日、 母の実家に向かった。 前回の滝同様、福祉車両を手配してお出かけの準備。 出発の直前には目眩止めを飲んでもらい車椅子ごと乗車する。 しかし、最近は寝ている時間がとても長い。 また、声をかけても返事がないことが殆どになってしまった。  食事に関しても、次第に朝ごはんを食べなくなり、昼ごはんも食べなくなった。 夜も服薬用のおかゆとおかず数口だけの日や、アイスやおかしを数口食べるだけの日も出てきた。 それでも母には食べたいものがあった。

30 大丈夫だよ

がんの終末期患者にはよく現れるという 現象の一つに「せん妄」がある。 注意や理解、記憶などの機能が急性に低下し、変動することを特徴とする状態 とのことで… つまりは  急におかしくなる、 いつものその人ではなくなる こと。 そしてそれは戻ったり、おかしくなったりを繰り返す。 母もせん妄のような意識障害のような状態が多く見られた。 「今ハイヒールで横を通っていったの、誰?」 「今、テーブルに虫がいたよ」 「団子を冷蔵庫に入れてきて!」 「火、止めたかどうか忘れちゃった…

26 コーヒーを1つ

「ちゃぴおは時には看護師さん、時にはカフェ店員だ。 一緒にいると飽きないよ笑 ちゃぴおと一緒にいる人は楽しくって幸せだね。死ぬの嫌だな。ちゃぴおと離れたくないもん。」 コーヒーを飲みながら、母は私に言った。 不意に言われた言葉だったが、 誰かの生きたい理由になれたことは私史上最大の喜びなんじゃないか? 母は突然泣かせに来るからおさえるのに必死なんだよ。 母が言ったように、私は家で看護師になったり(ハキハキした?話し方や敬語を使って看護師さんに似せて介護をしていたため)

5 久しぶりの帰省

「お母さん、このままじゃ危ないと思う。」 母親をそばで見ていた姉からの連絡だった。ストレートに伝えてくれる姉に私は救われた。  母に連絡をしても、 「大丈夫、お仕事頑張って!」 「こっちのことは気にしないで!」 心配をかけないようになのか、詳細を伝えられなかった。 【私も家族なのに】【頼って欲しいのに】 抗がん剤治療中だった母は1ヶ月の間で急に歩けなくなってしまったという。 杖をついてなんとか歩く。 その一週間後には 歩行器。 次の週には 立ち上がることもできなくな

1 母からの連絡

ちゃぴおー! 名前だけを呼ぶ、一言のLINE。 どうしたの?と返すと 何してるのか、気になっただけ。 それだけだった。 遠くに住む両親からの連絡はいつもそんな感じだった。何をしてるのかご飯を食べてるのか、時折連絡が来て、スタンプで終わる会話。 しかし、暫くして父から連絡が来た。 母はもう一人で歩けていない。

27歳 自宅で乳がんの母を看取る 

今起こっている全てを、 受けいれる第一歩として。 自身に捧げる。 ーーーーー 59歳の母は17年前乳がんを患いその後再発、転移を繰り返し最後は脊髄、脳にも転移。2022年8月に予後は1、2ヶ月と宣告を受けました。 入院し治療を受けた後、自宅での療養へ切り替え。 訪問看護、訪問診療を活用しながらのケアとなった。 この大事なかけがえのない時間を、 少しずつ言葉にしていこうと思う。