マガジンのカバー画像

母と過ごした2ヶ月半

57
2022年8月。私は27歳、母は59歳。急に足が動かなくなった母は、ガンが脳に転移しており、余命1,2ヶ月と宣告される。私は仕事を休み、自宅で母の介護がスタートしました。母と過ご…
運営しているクリエイター

#癌

56 おかあさんへ

1年前の今日 私は上司に泣きながらお母さんの状態を話したっけ。 仕事は1年で一番忙しい時期だったけど、上司はすぐに帰って!と言ってくれた。本当に有り難かった。 他のスタッフさんたちに泣き顔がバレないように、チャリを飛ばして新幹線に飛び乗ったよ。 1年前の今日 お母さんはもう車椅子で、それに手が痺れてご飯が作れなかったから、私がご飯作ったね。 野菜炒めしょっぱいな、なんて言われつつ4人で話して、笑い合っていたね。 1年前の今日 この家に、このリビングに、このキッチンに、

40 母が歩いた日

母は寝たきりで、もちろん歩けない。 「歩けないから、体を動かす機会がなくてますます弱ってしまう。だからせめて手を動かしておくか」 なんて言って、腕の体操をしていたこともあった。(手もだんだんしびれが酷くなり、動かせなくなってしまいましたが。) 退院したての頃は 「歩いた夢を見たよ!」 と、話していた。 しかし、ラストラリーに突入し、母は言い出した。 「歩いて2階まで行ったんだよ」 「キッチンまで歩いて行ってきたよ」 「私も知らなかったんだけど、いつのまにか歩け

39 お迎え、きた?

お迎え体験って知ってる? なあにそれ、と母は私に聞き返す。 退院してすぐの時、母にこんな話をした。 もう亡くなっている人、 例えばおばあちゃんが夢に出てきて、 「あの世は楽しいところだから、怖くないよ、だからおいで!」って 話しかけてくるんだって。 それについて行ったら死んじゃうらしいよ。 だから、大好きなおばあちゃんから誘われてもついていったらダメだよ! 母は、わかったよ、と笑った。 ーーーーー そろそろ、おばあちゃんのお誘いがくるのではないかと思いラストラリー

38 お元気そうで

私の彼と母が会ったのは丁度その日だった。 ラストラリー全盛期。 なんてタイミングが良いのだろう。 彼が母と対面して、はじめに母に掛けた言葉は 「お元気そうで。」 だった。 お元気そうなのか。 初めて母とあった人には、 とても元気そうに見えるのか。 いや、 母の気遣いな言葉も、 その笑顔も ちょっと抜けてる発言も 全部いつもの母だ。 あぁ、母は今、いつものように、元気なのだ。

37 母の覚悟

朝起きても、変わらず母はハキハキ喋る。 意識障害、せん妄の影響はありつつも 話し方はしっかりしていた。 これは本当に最後のチャンスだと思った。 今日はどんな話でもいい。摩訶不思議な話でもどんとこい。話せるだけで幸せだ。 たくさんお話をしよう。 看護師さんが帰った後、母のエアベッドで無理やり、母と一緒に横になった。 すると母はしっかりした意識と口調で話し始めた。 今は、薬がたくさんあって延命治療もたくさんある。延命治療が良いか悪いかは、わからないけど、お母さんはつきとめ

36 ラストラリー 最後の回復

死が迫っているように見える人の症状が、一時的に回復することを「中治り現象」「ラストラリー」と言う。 その原因は、脳が長く生きようと、幸福感を生み出すホルモンが分泌されるためと考えられている。 そして、それは長くは続かない。 あくまでも一時的な回復である。 例えば、何も食べられなかった人が突然好きな物を食べだしたり、起き上がることのできなかった人が立ち上がり歩き出したり。 それは数時間〜数日だけの特別な回復とのこと。 ーーー 母にもそんなこと起きるのだろうか? この

35 心の支え

母の実家に行った日 実は今までで一番不調だったように思う。 ラーメンを一口食べたが、 口にしたのは一日を通してほぼそれだけ。 ほとんどの時間、目を瞑り 念願の実家に到着し祖父(母の父親)が話しかけてもほぼ無言。 【このまま弱って亡くなるのではないか】 ここ最近で一番、死を感じた日だった。 そろそろ別れの時が来るのか、覚悟しなければならないなと心がざわついた。 実家に帰っている期間、遠距離となっていた彼に現状を伝えた。 母は彼に会ったことがない。 それ故、以前か

34 よく食べたものは

母がよく食べたもの&飲んだもの 1位 サクレレモン 2位 オロナミンC 3位 ウェルチのぶどう 母はよく、アイスをたべました。 液体にとろみはつけずに提供しましたが 完全な液体よりも、氷のほうが水分摂取がしやすいようでした。 私が、「アイスはどうー?」 と言って食べるアイスを選んでもらったあと食べさせようとすると… 「ちゃぴおは何を食べるの?」 と聞いてくる。 「私は寒いしいいよ〜」 と返しても 「せっかくなら食べようよ!」  とすすめてくる。 一人だけ食

5 久しぶりの帰省

「お母さん、このままじゃ危ないと思う。」 母親をそばで見ていた姉からの連絡だった。ストレートに伝えてくれる姉に私は救われた。  母に連絡をしても、 「大丈夫、お仕事頑張って!」 「こっちのことは気にしないで!」 心配をかけないようになのか、詳細を伝えられなかった。 【私も家族なのに】【頼って欲しいのに】 抗がん剤治療中だった母は1ヶ月の間で急に歩けなくなってしまったという。 杖をついてなんとか歩く。 その一週間後には 歩行器。 次の週には 立ち上がることもできなくな