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コンテンツ消費から距離をおく生き方

漫然とコンテンツ消費することをやめたら
人生をもっと味わえるようになった気がするという話です。

以前は散歩中、
いつもイヤホンをつけてSpotifyとかで
音楽を聴いていました。
歩きながら音楽を聴けばどっちも楽しめて
一石二鳥みたいな。

でもある日ふと、
「よくよく考えると散歩しながら聴いてる音楽、もっというと何かをしながら流し聴きしている音楽って感動も何もないよなー」
と気がつきました。
ただ音楽というコンテンツを消費している、
それだけ。
今考えるとSpotifyというサービスに時間を
奪われていたような気がします。

最近は散歩中はもちろん、
家でも音楽をほとんど聴かなくなりました。
育児で時間があまりないという理由もありますが、「漫然とコンテンツ消費する」ということをやめました。

最近の散歩中は基本、
考え事をする時間に充てています。

前までは
「コンテンツがあったら消費しないといけない病」にかかっていたのかも。
「バイキング行ったらなんとしても元を取る!」みたいなある意味貧乏性に近いかもしれません。


そんな感じで漫然としたコンテンツ消費を
やめたらいろいろ変わりました。

季節とか環境を味わうようになった
散歩中や家にいる間、雲を見たり雨の音を聴いたりする時間が増えました。
今だと蝉の鳴き声を聴きながら過ごすことも。音楽を聴いてる時みたいに気分が上がるみたいなことはないけど、なんかとても幸せを感じます。でも生産性とは無縁な過ごし方です。たまに「こんな暇あったら勉強とかした方がいいんじゃないか」と焦る気持ちも出てくるけど、コンテンツ消費してるよりはマシだろうぐらいに考えてます。


たまに聴く音楽の満足度がとても高い
今ではスマホの音楽アプリも全て消しました。でも月一くらいでPCのYouTubeで音楽を聴いてます。この時は「聴くぞ」という強い意志を持って楽しみながら集中して聴いてるので満足度が断然高いです。それと思うのは、音楽ってMVなど映像も含めて芸術作品なのかなーって思うようになりました。

自分の幸せを消費に頼らなくなった
以前は稼いだお金でサービスを利用できることが幸せみたいに考えていたのところがありました。でもそんな訳ないですよね。自分が幸せになるためにお金に頼るという安易な考えだったと思います。

漫然としたコンテンツ消費は本当に無駄だと気がついた
音楽や動画、ニュース、どれも漫然と消費することはただ貴重な時間を溶かしているだけだなーと実感しました。
「青空見てボーっとしてるのも時間溶かしてるだけだろ」と思う人もいるかもしれないけど、自分にとってはそれが幸せです。幸せの感じ方は人それぞれ。いまだに自分自身の幸せの基準というものが不明確だけど、そこにヒントがあると自分では勝手に思ってます。


コンテンツで溢れる世の中だからこそ、
それに飲み込まれないように気をつけようとと思います。

おしまい。





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