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カオスなNAMIEの自己紹介①。

NAMIEの自己紹介


■プロフィール


名前:NAMIE

職業:自営業
   グラフィックデザイナー &
   チャネラー
   (スピリチュアルカウンセラー)

年齢:アラフォー

家庭:主人、息子、娘、NAMIE、の
   4人家族。

趣味:仕事、映画鑑賞、読書

著書:「3人のADHD
   ~奇跡を起こす少年と不登校の癒しの少女
   &モンスターペアレントの物語~」


ざっくりと項目で
プロフィールを書いてみましたが、
もう少し詳しく
以下に書き綴ってみます。


■NAMIE自身のADHDについて

NAMIE自身は
ADHDというものが
まだあまり日本社会に知られていない頃に
ADHDの診断を受けました。
二人目の子どもを産んだすぐあとです。

幼いころから
とにかく自分の生活が管理できず
両親からもあきれられていましたが

子どもを産んでからはさらに、
日常の生活そのものが
混乱していることに加えて

母子手帳や保険証等の管理、
予防接種や検診のスケジュールなども
自分の手には負えず。

混乱に混乱が重なって疲弊しきっていて
それまでにも増して
フライパンを火にかけたまま忘れたり
子どもの近くに置いておいてはいけないものを
片づけ忘れたり…と

日々の生活が恐怖になっていたのでした。

そんなときにたまたまネットで
「ADHD」という言葉を知り、
自分のことが書いてある…!と
衝撃を受けました。

当時はまだあまり多くなかった
ADHDについての書籍を読み、
(NAMIEが当時一番分かりやすかったのは
エイメン博士の
「分かっているのにできない脳①②」です)

大人についての発達障害を
診てくれるような病院は
その頃はほぼ皆無だったので

子どもの発達障害を専門としていた
名古屋の病院の先生へ
直接電話をして必死に頼み込み、
診ていただきました。
(実は、あとから知ったのですが
この先生は
発達障害に関しては
かなり有名な先生でした)

しばらくは毎月そちらへ
高速を走って片道一時間かけて
診察に通っていましたが、
幼い子ども二人を抱えたままでは
この通院も困難になってきて

紹介状を書いていただいて
自宅から通える範囲内で
病院を探しました。

けれども、
まだこの当時は
心療内科や精神科の医師でも
「ADHD」というものを知らない時代で、
それこそ鼻で笑われて
泣きながら帰ってきたことも。
なかなか苦しい時代でした。

その後数年のあいだに
「片づけられない症候群」という言葉が
ちまたで騒がれるようになり、
ようやく「ADHD」というものが
社会に認識されるようになってきました。

現在は病院には通院していないので
最近のADHDの分類には
あまり詳しくないのですが、

NAMIEの場合は 現在で言うところの
いわゆる「混合型ADHD」です。

「不注意」と「多動/衝動性」が
組み合わさった、
非常に分かりやすいタイプの
典型的なタイプ
です。

■我が子たちのADHDについて

息子が保育園に入るころには
とにかく行動が自分とよく似ていることで、
彼もADHDであるということは
わたしにはすぐに分かりました。

喜びの感情も、悲しみや怒りの感情も
周囲の普通の子の2~3倍といった感じで、
朝保育園に送って行くにも
何段階にもわたってバッグをあちこちに置いて
探し回ることになるんです笑。

NAMIE自身がそもそも
自分のものを探し回りながら生活しているので
そこに息子の行動が加わり、
それはそれは混乱の極み。
毎日がカオスの連続でした。

ただ、どちらにしても
5歳くらいからしか正確な診断ができない、と
保健師さんからも聞いていたので
5歳を待って診察に行きました。

NAMIEが住んでいる三重県では
子どもの発達障害について
非常に専門的な大きな心療内科があり、

当時はまだ 社会でも
いまほど発達障害が認識されていなかった
ということもあって
まだ初診の予約が取りやすく

幸いにもそちらの病院で
すぐに予約を取ることができました。

やはり息子の方も
大変分かりやすく症状が現れている
はっきりとしたADHDで
(「不注意+多動/衝動性」の混合型)、

息子はここから10年間にわたり
毎月診察に通いました。

***

二つ下の娘に関しては
NAMIEや息子とはタイプが違っていて、
そのためわたしは
娘のADHDに関しては
なかなか気づきませんでした。

わたしや息子のような
多動・衝動の感じがまったくなく、
むしろおとなしくてよく気が付き
もめごとはとても苦手、というタイプで

言葉もあまり話せないような頃から
わたしの行動に先立って
いろんなものを手渡してくれたり、
わたしの後をついて
わたしが置き忘れているものを
拾って歩いてくれたり、

とにかくわたしを助けてくれるのが
幼い娘でした。

が、

保育園で
何かあって泣いていても
自分がなぜ泣いているのか
その理由を忘れてしまっていたり

例えば「これ引き出しにしまってね」
とお願いして
「はーい」と返事が返ってきても
その1分後には
「何するんだった?」と尋ねてきたり

…ということが何度もあり。

あるとき、

「ダスキンのモップで遊ぶのはやめてね」
と注意をしたら
(このころ、何度も同じ注意をしていた)

この娘、
突然コピー用紙に大きく「×」と書いて
モップの柄にテープで貼ったんです。

「それは何?」と尋ねてみると

「これで遊んじゃいけないってこと
すぐに忘れちゃうから、
こうやって貼っておかないと
分からなくなっちゃう」
と言ったんですね。

それで、
おや???と思って
息子の診察の時に
主治医の先生に聞いてみると
彼女の方もADHDの可能性があるとのことで

そのころにはもう どの病院でも
初診の予約はなかなか取れないくらいの
状況になっていましたが、

こちらの主治医の先生が
息子の診察とあわせて
診てくださるとのことで

この娘に関しても
本当にラッキーなことに
すぐに検査と
その後の診察がスタートしました。

この娘の方は、いわゆる「不注意型」。
女性に多いタイプのADHDです。

***

ものすごく長くなりそうなので、
今回はここまで。
また続けて
自己紹介を書き進めたいと思います。



★ラジオ番組


 ゆめのたね放送局 東日本第1ch
 毎週日曜 朝8時~放送
 「カオスの女王」

 放送はこちらから↓↓↓


★著書

「3人のADHD
 ~奇跡を起こす少年と不登校の癒しの少女
 &モンスターペアレントの物語

kindle版とペーパーバック版があります。


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