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chao【人生あどりぶ】目次

目次

【第1章 小中学生時代】

■1980年(7才)小学生時代
・親父社長。無収入。借金地獄。
・小学5年の頃、担任にいびられて痩せる。
・不登校&遅刻を繰り返す登校拒否状態に。
・謎の北海道長期キャンプ。
・チンコをチャックに思い切り挟む→チャック恐怖症になる。
・将来の夢は漫画家。
・趣味は粗大ゴミ置き場漁り。カブトムシ採集。チャリンコ改造

■1986年(13才)中学生時代
・ケツピン塾というスパルタ塾に入塾。 
・一心堂(おもちゃ屋)にいりびたる。(※後のビジネス繋がる伏線)

【第2章 バンドブームからダンスへ】


■1989年(16才)高校時代
・親父の会社が大手外資系企業に拾われ、軌道に乗り始める。バブルと逆行。
・イカ天ブームにのって女子にもてる為にバンド始める。青春時代到来。
・フられた彼女の影響でダンス始める。
・駅やストリートで踊り始める。(「ダンスで有名になる!」と卒業文集に書く。)

【第3章 ダンス修行〜ワセダブレイカーとの出会い】 


■1992年(19才)浪人~就職時代
・予備校通うもダンスにハマりすぎて1浪する。
・格闘ゲーム(ストⅡにハマる。対戦で負けたくなくて、ゲーセンの筐体(基板)を購入。
・浪人生の分際で車の免許合宿に。
(車を手に入れ、幕張ナンパ橋に通い出す。)
・大学には合格してないくせに早稲田のサークルに入り、週5で通い、疑似キャンパスライフを送る。
・大学は諦めて、とりあえず親父の会社に次期社長として入社。自分にサラリーマンは無理。人生の落後者であると自覚し始め退職
・成人式は、個性が大事と言い放ち、私服&ドレッド姿で参加。

■1994年(21才)大学時代
・次期社長の椅子は諦めて会社辞める。
・ダンスするために大学入る。実質3浪。
・安アパートに住みだす。
 部屋にねず。ねずみと格闘の毎日。
・同居人ワカタケ君物語
・本場でダンス修行するためにNYへ行きまくる様になる。

【第4章 カナダ留学時代】


■1995年(22才)カナダ時代
・ダンスがしたくて大学に入ったのでストイックにダンスをしていたら履修登録を忘れ
 1年間授業が受けられないことに。
・『ピンチをチャンスに!』と言い放ち、カナダに一年間留学することに。
・ダンスチームBAG OF TRIXのメンバーに加入。
・語学学校のホームステイ代が払えなくなり追い出される。
 友達のDJ『葉っぱ』のディーラーの家に居候する。

■1996年(23才)大学時代
・1年経って帰国し、ダンス三昧。 
・大きな大会の前日にバイクで事故ってトラックの下敷きになる。
・電波少年の猿岩石の影響で北米から南米まで陸路で南下していくという旅に出る。
 旅の途中で久々に実家に電話すると親父が他界した事を告げられる。
・信頼していた人に裏切られ父親の会社が乗っ取られる。
・精神的にマイった母親に迷惑かけまいとダンスやめて大学卒業する。 
・親父が死んでからはダンスをやる気力をなくしヲタクの世界へ。
 オモチャ・フィギュア収集にハマる。

 
■1997年(24才)ニートコレクター時代
・再び幼少期に通ったおもちゃ屋さんへ通いだす
 そこで仕入れ小さく商売を始める(商売のセンス)
 就職活動は全くしない。
 当時24歳でおもちゃばかりを集める。
 気がつけばドラゴンボールのトップコレクターに。
 ハマりすぎておもちゃ改造にもハマる。
 改造した作品が徳間書店から発売された作品例として掲載される。
 
 バイクで日本を縦断しながら、ビンテージフィギュア発掘の旅に出る。
 
・ちょっとした誤解で神戸のヤクザに監禁されて数時間ボコられまくる。
 4階だったが窓から飛び降りて逃げようと思ったくらい恐ろしかった。
 人生35年間で小便漏らしたのも本当に死ぬかと思ったのもこの時くらい。

■1999年(26才)おもちゃ屋時代

 お客として行っていたらおもちゃへの知識を買われておもちゃ屋さんにスカウトされる
 普通の職には就けないので趣味を生かしオモチャ屋で働く。
 →だけど時給700円でびっくりする!
 
 ダンスのビデオをみて、夢を諦めきれず、働きながらもダンス復活。
 おもちゃや終わって練習する日々 
 
 
 色んな大会ちょこちょこ入賞。

 中くらいの大会優勝。
 
 大きい大会優勝。
 
 日本大会優勝×2。
 
 世界大会準優勝。

 NHKから「世界大会への道」的な密着ドキュメンタリーの
 撮影・取材をチームとして二ヶ月に渡り受けたのにも関わらず
 ディレクターと揉めた事で自分の部分だけ見事にカットされる。
 NHKがそこまでやるか~。とメディアを疑い始める。
 楽しみにしていた母親に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 母親はそれ以来、NHKに受信料を払わなくなったそうだ。
 

■2001年(28才)TEXAS時代

 アメリカTEXASのダンサーの踊りをビデオで見て度肝を抜かれる。

 「このチームに入って一緒に踊ってみたい」「こいつらとバトルしてみたい」
 思い立ったら即行動!
 突然おもちゃ屋やめることを告げると、月給50万円出すからと言われるも退職。
 
 親から50万円借りてダンスするために渡米。

 メンバーが足りないとの事でいきなり一緒にコンテストに参加する事になる。
 結果、優勝。
 認められ、念願叶いチームの一員となる。

 アメリカ限定のフィギュアを日本のネットオークションで売りながら
 ギリギリの生計たてる。

 騙されて車検切れの壊れた車を買わされる。
 しかもオイルも漏れてるわ。黒煙を出すわで。
 そんな状態で走らせていたので、何回も警察に捕まる。
 国際免許証を出して英語が全く喋れない振りをしてごまかし通す。 
 
 アメリカ各地で行われていた色々な大会に出場。

 BEST8×1回 BEST4×1回 優勝×4回 
 
 資金尽きて一年して帰国。
 

■2002年(29才)独立起業編

・結婚してニート。半年続く。

 マンガが6畳ひとまに1万五千冊(マンガが好きすぎて 好きなものの追求)
 →ゆくゆく古本屋オープン。


 ダンス大会にはもぼちぼち出て大会二連覇して引退決意→中田理論
 

 15年目にしてやっとダンスに見切りをつけ始める。
 
 仕事しない日々が続きこのままでは本当にまずいと一念発起!!

 
 サラリーマンになりたくない、でも30までになんかしたいという理由で独立!
 しかも親から400万円お金を借りて。
 しかし、出店も出来なくてどこも貸してくれなくて、熱意で店舗借りたエピソード
 が、熱意だけは商売上手く行かず大赤字が続いて、ガチで泣いて後悔
  

■2008年(34才)ダメダメ期間
ある本と出会い、自分の志「とことん追求」が達成されてないことを思い出す。
出店やめる、世界一周への想いを馳せるも、会社のことで行けない。
うだうだしちゃう時期が続く
 世界一周の旅に出ると計画するも、なかなか第一歩が踏み出せず何もない一年間に。

 しいて言えば幕張のお店を拡張した事くらい・・・。

 仕事もプライベートも充実しない一年間に。
 
■2009年(35才)
・エクストリーム一輪車を始める。
・人のyoutubeを見ると。きれいなので直接連絡をとると判明。
 結果、カメラ動画の撮影、さらに編集にハマる。
 
■2010年(36才)
・某アーティストのバックダンサーとして武道館で踊る。
・2月には初心者のくせにドイツのエキストリームの一輪車大会にも参加。
 起業してから初の海外で少々興奮。
 しかし、日本人は一人だし、実力ないし、なかなか厳しい旅となった。

■2011年(37才)新たなる旅立ち
・日本人代表として海外で発売される一輪車DVDの出演のオファーが来る。
・テレビ番組で自分の一輪車の動画が紹介される。
・東京本店のビルが老朽化による立替で立ち退き要請が出る。
 その二ヵ月後、大地震により、千葉の店舗が液状化により傾き営業不可能に。

・念願の世界一周の旅へ出る。目的地にいくのではなく、いくまでの過程をを大切にする。
 ストイックな旅 11ヶ月で45ヶ国 121都市 1週間で1ヶ国
 途中タンザニアに革命時に会いに行く(会いたい人には会う)
 be-palにのる(かたちにする力)

■2013年(38才)たびはち
・帰国後旅は無限大をテーマに旅∞(たびはち)プロジェクトを立ち上げる
 10か月フェスを3回。200人→1200人

■2014年(40才)飲食業への挑戦
・飲食店オープンへ



●幼少期編 家族四人で家賃3万円の団地住まい。
親父社長、無収入。2度の不渡り手形をつかまされ、数千万円の負債を抱える。
消費者金融にまで手を出してしまい借金地獄に。

 小学5年生の時、不登校や遅刻を繰り返す登校拒否状態になる。
そんな状況を見かねた母親に、謎の北海道長期キャンプの旅へ送り込まれる。参加しているメンバーは全国から集まった登校拒否者や不良などの問題児ばかりだった。
 中学生になり、母親にケツピン塾というスパルタ塾に無理矢理入塾させられ、3年間地獄のような日々を送る。

●浪人生〜大学時代
 格闘ゲームにハマり、バイト代をつぎ込んでゲーセンの筐体を購入する。
 結局大学は諦め、父親の会社へ入社するも馴染む事ができず、自分は社会不適合者という事を自覚して退職。
 大学へ入るも、大学2年生の時、履修登録へ行くのを忘れ、1年間授業が受けられない非常事態に。
ピンチをチャンスに、と言い放ち当時世界で一番尊敬していたダンサーGIZMOに師事するため、カナダのトロントに留学する。
 北米から南米まで陸路で南下していく旅に出る。1ヶ月ぶりに実家へ生存報告の電話をすると、父親が他界したことを告げられる。通夜も葬式もすべて終わっていた。

●オタクへの開花編
 ダンスなどやる気力もなくし、フィギュア収集に没頭し始める。オタクの道へ。
 バイクで日本を縦断しながらヴィンテージフィギュアの発掘の旅に出たり、日本では誰も持っていないフィギュアを探し求め、海外にも買付けに行くようになる。
 フィギュア制作にもハマり、専門誌にプロの作品と並んで改造例として紹介されるまでになる。

●ダンス成熟編
 1999年、ダンス復活し、日本最大のHIPHOPブロックパーティー「B-BOY PARK」のチームバトルで優勝。
 翌年、世界大会へのキップをかけた全国大会でも優勝し、ドイツで行われた世界大会では日本チーム初となる準優勝とベストSHOW賞のダブル受賞。
 自分の力を更に試すべく単身渡米し、世界的チーム「HaviKORO」のメンバーとして迎え入れられ活動。アメリカ各地で行われていた大会で優勝・入賞を果たす。
 アメリカ限定のフィギュアを日本のインターネットオークションで売るなどして生計を立てる。
 
 帰国後、国内での大会で2連覇や、イギリス開催の世界大会「UKチャンピオンシップ」に「JAPAN ALL STARS」として出場しBEST4に。2003年、このままだらだらやるよりは、と全盛期のタイミングで潔くダンス引退。

●ニートから独立起業への道
 29歳で結婚をするも、ネットゲーム中毒になり、1年間のニート生活を送る。しかし、このまま30歳になってはまずいと一念発起し、借金してフィギュアショップを秋葉原にオープンさせる。しかし、大赤字が数ヶ月間続き、出店したことを泣いて後悔する。

 死ぬ気で働き、ようやく軌道に乗ってきたと思っていたその矢先、起業当初から二人三脚で頑張ってきたパートナーに騙され2千万円の負債を抱えてしまう。
倒産寸前、資金ショートすれすれを繰り返しながらも経営を回復させる。
 その後、様々な困難を乗り越えつつも、努力と工夫と50%の運で現在では11店舗になる。

●一輪車との出会い
 35歳の時、たまたまテレビで見た“エクストリーム一輪車”というマイナーなスポーツにハマってしまう。仕事後に毎日3時間、夜な夜な特訓を続ける。
世界36人のうちの1人に選出され、世界で発売されたDVDに日本人代表として出演する。海外最大のチーム「Team Unicycle TV」のメンバーとなる。

●世界一周への旅
 会社を託し、1年間かけて世界放浪の旅へ出発。訪れた国は全部で62ヶ国。
 帰国後、旅の素晴らしさを広めるため、恵比寿ガーデンホールにて旅フェスを主催し、1200人を集める。フリーペーパーの発行、旅人が集うシェアハウスを2軒運営。

●飲食店事業編
 2014年、旅人が集まれる空間として「root」をオープン。しかし、旅カフェでは経営が成り立たないという現実に直面し、思い切ってビストロ業態に方針転換。軌道に乗ったころ、ゲストハウスをすべく新たな物件を契約するも、建物の構造上、行政の許可がおりない事が発覚し、結果的に飲食店2店舗目となる「ボケリア」をオープンさせる。
 飲食店のやりがいと奥深さにハマり、今では飲食店を4店舗経営。

●一輪車台湾縦断の旅
41歳の時、仕事ばかりでチャレンジしていないと、思い付きで台湾529キロを二週間かけて一輪車で縦断する。

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