初めての出産

今、旦那に寝かしつけを頼んでいます。
なので、今の時間を利用して、抱っこによる腱鞘炎の手首を駆使して
次なる日記を書こうと思います。
前回の日記も、時間ができた合間合間で書いては下書き保存、書いては下書き保存をして、結局投稿できたのが書き始めてから1ヶ月後でした。
さあ、今回はいつ投稿できるでしょうか。

ちなみに書き始めの今日は6月17日です。出産から2ヶ月。我が子2ヶ月。母ちゃんになって2ヶ月。段々と毎日の生活のリズムが掴めてきたところです。
さて、今回は「初めての出産」編。
いわゆる出産レポというやつです。
けどもう記憶が曖昧。というか覚えていないことも多々。
一応、入院中にアイフォンのメモ機能にちょこちょこメモをしていたのでそれを見ながら書いていきます。

「痛い???」
私が妊娠してからとにかく出産経験者に聞いた質問ランキング1位。
痛くない人に出会いたかった。
そんなわけはなかった。
出産痛くない説を唱えたかった。
経験してみて分かったことは、痛かったということ。
もし今後、誰かに痛いか聞かれたら、こう答えます。
「痛い」と。
よく出産前にいろんな人から聞いていたのは、「痛いけど、子どもの顔見たらそんなの忘れるよ!」
私はこう言いたい。
「え、忘れんよ。痛いよ。我が子は我が子。痛みは痛み。よそはよそ。うちはうち。」と。

では、メモ機能を見ながら書いていきます。

入院してから本格的な分娩開始に至るまでは部屋で陣痛に耐える。
子宮口が全開となれば分娩台に行くのかしら。よく分からないけど、部屋で定期的に子宮口の確認をされた気がします。まずそれが痛い。

いつ子宮口がよく開いていたかも分からないけど、
分娩台に乗っていいとなったので車椅子で分娩台のある分娩室へ。
ん?いや、子宮口開いてないけど、なんかあってこりゃもう分娩室やなってなったんだっけ!?ちょっと覚えてない。
分娩台に乗ったけど、よくイメージしていた、足をガバーっと開くような体勢にはならず、横を向いてまたさっきまで部屋でしていたような陣痛に合わせていきむ?時間が始まる。
「え、まだ産む体勢にならんの?あの足ガバッと開く感じにならんの!?」とお先真っ暗。
助産師さんが、痛みが少しでも和らぐようにとお尻の穴付近を押してくれる。
夜中の3時36分に産院から旦那に来るよう連絡が入り、旦那が立ち会うことができた。
旦那は食欲と睡眠欲オバケ。10秒で寝れるし、寝たら起きない人なのですが、この時だけは2時ごろからアパートの駐車場に停めてある自分の車で寝て連絡を待っていたそうです。
旦那が来てからも分娩台の上で横になり、陣痛に合わせていきむ。
めちゃくちゃきつかったけど、助産師さんに変わって旦那がテニスボールを使ってお尻を押してくれて痛みを和らげてくれる。
やっぱり男の力は違う。申し訳ないが、助産師さんより効く。
けど、押す場所が違う時もあってイラッとした。
私が消えるような声で、「違う。もっと上」とか「下」とか指摘するんだけど
消えるような声なもんだから一度で聞き取ってくれず。またこれにイラッと。笑
他にも、タオルで汗を拭いてくれたり、飲み物も飲ませてくれたりした。いい助手じゃった。笑
この間にもやってくる陣痛に、うめき声を出しながら耐える。
たまらず、「う◯んこ出そうなんですけど」と助産師さんに伝えると
「いいんです。出していいんです。出す感じです。」みたいなことを言われ、
頭によぎったのは、「今日昼ごはんインドカレー食べた。おいおい、大丈夫かよ」と「旦那にう○んこ出るとこ見られたくない」の2点。
産院に来てから、私のためによく動いてくれた助手に、「ごめん、ちょっと外に出ててくれる?」
突如、旦那、分娩室から退去命令を出される。
私は、まだ旦那にう◯んこを出すところを見られたくないという女心が強く出てしまい、このままだと集中して出産に臨めないとも思い退出してもらいました・・・笑
助産師さんには、「旦那はもう産まれる直前に呼んでください」と頼みました。
旦那は、結局4〜5時間外で待たせました。ごめんよ、旦那。

さあ分娩開始となりまして、私がイメージしていた足が最大限開くやつにベッドが動きました。足が開いた途端、両足の震えが止まりませんでした。ガタガタガタっと全然止まらない。不安、恐怖、緊張、いろんな気持ちが足の震えに出たのでしょう。

産むときは、「ひっひっふー」かと思ったら全然違いました。本当にうんこ出す感じでいきんでました。え、そうよね?違ったかな?
途中から、陣痛が弱まったということで、陣痛促進剤というの使いました。
促進剤を入れる注射だったか、何の注射だったか忘れましたが、その針が私の血管に入らない、入らない。
私はもともと血管が細いらしく、いつも健康診断で腕を叩かれ、擦られ。やっと入ったけど、内部出血?よく分からないけど、産後1ヶ月ごろまで痛々しい痕が残ってました。
そして、酸素呼吸器?も付けられました。これは何でだ?酸素が少なくなってきてたのか?詳しい方教えてください。とにかく、あの呼吸器つけられた時は、「あ、もしかして私死ぬの?危ない感じ?」と焦りました。

朝の8時ごろ、「あと30分から1時間で産まれますよ」と言われ、終わりが見えてきて安堵。やっぱり見通しって大切なんだなと改めて思った。
終わりがいつなのか、どんな過程で終わりに向かうのかを知るのと知らぬは大違い!闘魂!東セミ!
終わりが見えてきて安心はしたけど、1分1秒が長い長い・・・自分のお産の仕方の頑張り次第なのに、「おい、あとちょっとで産まれるんよな?長すぎやしねーか。まだかよ」と内心キレてました。

8時56分に無事出産。
最後は吸引をして我が子は出てきました。
噂に聞いていた会陰切開を、吸引で我が子を取り出すと同時にされたと思います。
ハサミ?の音が聞こえた。すんげぇ音だったよ。
なんか、医者側から「会陰切開の痛みと、赤ちゃんが出てくる痛みの2つの痛みをいっぺんに済ませたったで!!!」的な感じの思いが伝わってくるような瞬間でした。
一番叫んだ瞬間でした。
一番痛い瞬間でした。
臍の緒も、よくマジックで見る口から国旗をダダダダーと出すやつくらい長い臍の緒が出た感じがしました。
胎盤もドゥルンって感じで出た。
産んで安心したのも束の間、会陰切開の処置が半端じゃなかった。
いつも外来で優しい先生が、この時ばかりは開いた股の向こう側に鬼みたいな顔して処置していた・・・
最後、お尻の検査も地獄だった。確かお尻の検査をされたはず。
よくこの言葉の意味は分かってないけど、けつ穴確定だった。

我が子はこの世に生まれると同時に、「オギャー!」と赤ちゃんの泣き声で泣いてくれた。この産声は、録音をしてくれていて、後で産声アルバムという形で産院からプレゼントしてもらった。
生まれた我が子は綺麗にしてもらい、分娩台に寝ている私と対面したり、胸元に置いてくれた。カンガルーケアというらしい。
我が子はとても暖かった。「暖」という字は名前にもつけました。

生まれたのは月曜日。
実は翌日火曜日には40週と2日検診の予定が入っていました。この検診は、もうすでに市からもらっていた受診券を使い切っていたので、自腹で8000円ほど必要でした。それを払わずに済んだことは、親孝行息子だと思いました。

9時半ごろ、分娩室で朝ごはんを食べました。旦那にアーンしてもらって食べました。こんなこと久しぶりやのう。
産院側が、旦那に紙パックの飲み物を提供してくださいました。けど、旦那は、「これに手をつけたらお金取られるんやねん。やめとく」とホテルや旅館の冷蔵庫に初めから入っている「これは無料なのか?」と不安にさせる飲み物と同じ感覚で捉えていました。
「え、違うやろ!飲みよ!」と促す私。
日本政府よ、出産費用が気になり紙パックのジュースでさえ飲むのを躊躇する成人男性がいます。
私が、産後おしっこを出すのに、「トイレで自分でする」or「管で導尿する」どちらでするかを聞かれた時、管だとお金取られそう!!!と、やはりお金のことが頭をよぎり、「自分で出します!!!!
」と元気に言った私もいました。

とにかく早く異次元の少子化対策をよろしくお願いします。

朝ごはんを食べている横に我が子がいる。
旦那が抱っこをする。
我が子のあくびやくしゃみが立派。それはどこで習ったの?!とびっくりする。
コロナ禍の扱いのため、立ち合いは出産後2時間までだった気がする。その2時間を家族3人で目一杯有意義に過ごす。幸せでした。

そこに、昨日の入院から分娩までつきっきりでお世話をしてくれていた助産師さんが、「私はこれで」と名乗るほどのものではありませんと思うくらいカッコよく退勤の報告をしに来てくれました。何時間超過勤務をさせたんだろうかと思った・・・それだけちゃんと給料をもらっておいてくれよと拝みました。あなたがいてくれたことでどれだけ痛みに耐えられたか。感謝でしかないです。
この助産師さんと次に会ったのは退院する日。
もう会えないかと思っていたので安心しました。

といった感じの出産レポです。
よくSNS上であげている出産レポとは全然違うよね。
あんなに事細かに覚えてないわ・・・
次産む時は、どしっと構えて余裕をもって行きたいと思います。
まだ次の子なんて考えられないけど。

2023年4月17日(月)AM8:56
一生忘れられない瞬間でした。

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