帰省できない

私には、地元がない

って話をしようと思う



幼稚園から車やらバスやら電車やら使って通園通学していたら、

いわゆる「地元の友だち」ができないまんまこの歳になった


で、そうなるとご近所の知り合いのおばさんとかも居ないし、挨拶するのはおんなじマンションの人くらいで

まあでも最近は、「どちら様???」みたいな住人も増えてきて、もしかしたら古株なのかもしれない


必然的に、私にとっての「地元」みたいなところはない



特にそれで困ったこともなかったし、欲しいなと思うこともない

正直今でも別にそれは変わらないし、特段欲しいと思わないから、たまに不思議がられたりもする


みんなが言う、「地元」が「帰る場所」のことであれば、確かに、



あったほうがいいのかもしれない






最寄りの駅から乗り換えてひとつ隣の駅、私の家から歩いて10分

正直なところ、そっちの駅と今の最寄りの駅、どちらが本当の最寄りか怪しいところ、そんな場所に住んでいる



一年半前くらい、最寄りよりそっちの駅の方が使ってるんじゃ?というくらい、そこの小さな町にいた

バイト先もそっちの方だったし、当時の彼氏もそこの人だったし。



今、私のバイト先は2つともその駅から歩いてすぐの場所にあって、

そこが地元の人たちと話すことがあまりにも多い


そしてそこは、あまりに密すぎる



UNOとか大富豪に今年の初めものすごくハマっていた

まあこれもまた、当時の彼氏の影響で。


仲良い四人組がいて、その4人でよく大富豪をやっては負けたら奢り、とかやってたんだけど


それぞれのローカルルールのぶつかり合いで論争になったことがある

まあそれはそれで面白かったなあ



二言不可ってnoteで、「心がときめく」って好きだって話を書いた

もし時間があるなら、読んでみてほしい

そこで、

幼稚園からの履歴書を書いたならば、そこに並べられた経歴が自分の価値観を創っていることは否めない

と書いたんだけど、最近またそれを感じてはもどかしい思いをする



類は友を呼ぶ、とかもやっぱりあながち間違っていなくて、似たような人ばかり周りに集まってきて、

あまりに違いすぎるとどこかで絶対にうまくいかなくなってしまう

母にこれを相談したら、「真剣に付き合おうとすればするほど、無視できないものだから」と言われた

確かに、なんとなく全部適当にやり過ごすだけならそんなもの「まあそういうこともあるか」なんて終わらせられるんだけど、私みたいに力加減の下手くそなバカは、それができない

あまりに大きすぎて相手を苦しめたことも多々あって、その度に反省するのに、同じことを繰り返してしまう


ただの学習しないばか、そんな自分に結構げんなりしている



養育環境、経済的価値観、それで培われた金銭感覚、食事の好み、そして、私が思うに一番大きいのは、学習環境

だいたいおんなじレベルと言われる層に居る人同士が仲良くなるのは、自分のことでも周りのことでも、どう見ても明らかで

昔のなじみで今は楽しくつるんでいてもいつか崩れてしまうんだな、と私は姉や姉の友達を見て思う


もっともっと理想論だけで話をしていたかったな



さよならバイバイ、人生で一番大切だった人





















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