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元ヤンキーで風俗嬢の妻が叫ぶ「地球のためにラベルをはがせ!」…団地から始まるSDGs

「地球のためにラベルをはがして!」
妻はアホだ。元ヤンキーで元風俗嬢。分数の計算はあやしく、「東西南北」が分からないから立地は「上下左右」で説明する。総理大臣と大統領の違いは分からないし、3歳の長女としょっちゅうケンカしている。
そんな妻が私が捨てようとしたペットボトルをにらみ、こう言った。我が家は東京郊外の団地の一室。「ここから世界に?」と思いつつ、機嫌を損ねるのもマズイのでラベルをはがし、プラゴミに捨てる。

子どもの手を引いて書店に入ればSDGs本が所狭しと並ぶ。なんだか、学校の授業を受けているような居心地の悪さだ。悩み事があれば「地球の時間に比べれば辛いのは一瞬」というのは決まり文句のはずなのに……。でも、人生と地球の寿命を比べるナンセンスさを指し引いても、私一人が何かを心がけたからといって世界が変わるわけではない。

妻は真剣に言う。「子どもたちはこれからの地球で暮らすんだよ。そのときに地球が汚くなったらどうするの!?」。その切実さが胸に迫る。不器用で素朴な言葉には、反論しようがない。「たしかに」と膝を打ってしまうのだ。

SDGsはちょっぴり意識が高い。ノマドでエシカルでカルチュラルでテレワーキングな(?)人たちが愛している言葉だ。蔵前でオーガニックコーヒーを飲んでいるような、青山でヨガウエアを買ってそうな、六本木でアートを見てSNSにアップしてそうな、麻布の会員制のバーで飲んでいそうな人たちが振りかざしているような気がする。会ったことはないけれど。

我々に必要なのは「理由」だ。妻は、SDGsが何なのか知らない。「持続可能」とか「循環型」とか、多分そんな言葉を聞いたことすらないだろう。ほら、今も寝っ転がってユーチューバーの動画を見て笑っている。とても世界のためを思ってるとは思えない。

それでも妻はゴミを分別する。子どもたちがこれから長く暮らすであろう地球のために。そして、私もゴミを分別する。妻の気持ちを大切にしたい、2人の子どもが暮らす地球のために。そして、毎晩のようにニュースを肴に語る。セクシャルマイノリティーって何か、子どもたちが平等に教育を受けらるって何かを語る。この団地の一室で、使い慣れた言葉で。いつか、2人の娘たちもそれを聞くことになるだろう。我が家のSDGsが始まった、そんな気がする。

#未来のためにできること

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