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花は野にあるように 

日本橋高島屋にて開催されている山村御流のいけばな展の観覧のため、コロナ禍以来三年ぶりに東京を訪れました。
江戸前でデパートが大好きだった父に連れられて買い物に訪れた子供時代や、その後仕事で訪れた頃の日本橋界隈は表通りから少し裏通りへ入るとまだ昔の面影を残したお店や民家も残っておりましたが、その後長らく訪れることもないまま久しぶりに歩く街並みは開発の大きな変化を遂げて、江戸の面影なども微塵も感じられなくなってまことに寂しい限りです。

話は戻りますが山村御流は奈良の円照寺という門跡寺院に由来する華道の流派です。私の友人知人で花を生ける方々はなぜか皆さん山村御流を嗜んでおられます。そのようなご縁でいままでも何度かいけばな展に伺っておりましたが、最近全くの偶然で山村御流に関する1冊の書物との出会いがあり、そのすぐ後にお茶会でお世話になっている方から今回のいけばな展のご案内を頂きました。

「はなのこころー奈良円照寺尼門跡といけばな」
円照寺は後水之尾天皇の皇女である文智女王が創立した寺でなく御殿と呼ばれる寺格の高い尼門跡寺院です。

この円照寺に伝わる山村御流のいけばなを継承し、現代社会に適応させた功労者でもある著者の山本静山尼が綴る尼寺の生活は私が茶の修行をした同じ浄土宗の尼寺(仏殿の扁額は後水ノ尾天皇の筆)と同じようなところが多々あり、戦後の社会のなかで宗教法人の経営者として世間には知られざる苦労を背負うところもまた師匠の姿と重なり、雲の上の方なのに、どことなく親しみを感じずにはいられませんでした

静山尼が本の末尾で繰り返す「花は野にあるように」という言葉は利休の茶花の心得として知られてもおりますが、「生死(しょうじ)の道にゆだんなく、日々につとめ励むように」という尼寺の生活態度を花に託しているように感じております。