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005 一日に10個感動しなさいという話

私は大学で「造園学」という学問を勉強していた。造園学の幅は広く、庭園から都市公園、国立公園、地域計画、とあらゆる暮らしの景観を作ることを学ぶことができた。見た目だけではなく、そこに暮らす人、そこから生まれる文化、産業、自然、あらゆるレイヤーを見ることを叩き込まれた。

そんな授業の中で、心に残っている授業の一つに「発想学」というのがある。大学院の時に特別に1日だけ開催された授業で、どこで受けたかも、どんな先生かも忘れてしまった。なんとなくおじいちゃんで、すごい先生ですと紹介されたのは覚えている。そんなうろ覚えの記憶なのに、はっきりとその授業の内容は今でも覚えている。
色々と刺激的な話を聞いた後、先生はこう言った

「君たちが良い造園家になりたいならば、1日に無理やりにでも10個以上感動しなさい」 と。

何かを作る上で感動するってのは重要なことなんだよ、心を鍛える事で、発想が湧く。まずは知識ではなく、心を育てなさい。ということだった。この時の先生の言葉、先生の雰囲気、先生の深い目は今でもはっきり思い出すことができる。

その日から私は、通学や研究、日々の生活の中で無理やり10個感動することにした。それは、花が綺麗だな、空が美しいなという単純なものでいい。それまで私は、頭で損得を考えてしまう方で、こうやったほうが受けがいいかなとか、ここは感動したほうが良さそうだなと思っていた。

しかし、感動する練習をしてからは素直に花の美しさやうまくできた事、美味しかった料理に毎日感動した。それは今でも続いていて、仕事がうまくいかない日でも、体調が悪い日でも感動することはあるもので、それをすると心も穏やかになれる気がした。
最初は無理やり見つけようとしていたが、慣れてくるともっといろいろなことに感動するようになってきた。

そんなある日、東京駅を歩いていると、大変な混雑で、人と人がぶつかり、みんな少しイライラしている日があった。私も真っ直ぐ歩けないことにイライラしていたが、諦め、ゆっくりと歩いて2つ前くらいの人の頭を見ながら進むと上手に歩けることを発見した。大発見した気分だ、感動だ。

そうやって歩いていると、いろいろな人が目に入る。年齢も、性別も、肌の色や形、髪型、雰囲気、素晴らしくみんな違って、一人も全く同じ人がいない。そんな当たり前のことなのに、なぜだかその日は猛烈に感動した。違うことが素晴らしく美しく感じた。酔って楽しそうなおじさんさえ愛おしい。なぜか一人ひとりと握手したい気分だった。

東京駅を出ると、夕焼けが広がり、人々は慌ただしく家路に急いでいる。
私の感動は私だけのものだった。
遊園地帰りのカップル達の持つ風船が顔にあたっても、その日は笑って許せた。いいミミつけてるね、好きなだけ同じミミをつけるといいよ。と広い心で見送った

私が生涯で一番感動したのは、あの授業を受けた、あの日だったのかもしれない。

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