メゾン・ド・モナコ 47
「あ…」
顔を上げた先、キラキラと火の粉が舞った。燃える大きな翼、真っ赤に燃え盛るのは翼だけではない。その腕には鱗のような模様が浮かび、指先には鋭い爪が見える。
それは、フウカのものだった。いつもより膨れ上がった燃える腕が、この空間を引き裂いたと知る。
結界が壊れると、後ろへ引き寄せられた力も消えた。その場で座り込んだなずなは、一瞬フウカと目が合ったが、彼はその瞳を悲しみに揺らし、なずなから視線を逸らした。
背中を向けられれば見える、燃えるその翼、初めて見る、グローブを外したフウカの腕。その姿からは、フウカが怒っているようにも、苦しんでいるようにも見えたけど、それらの感情は、この結界を作った者に対してかもしれないし、フウカ自身に対してかもしれない。
なずなは声を掛ける事が出来ず、呆然と瞳を揺らした。
「なずちゃん!」
座り込んだなずなに、マリンが直ぐ様駆け寄り、力いっぱい抱きしめてくれた。
「もう大丈夫よ、怖い思いをさせてごめんね、大丈夫だからね」
「マリリンさん…」
その温かな温もりに、じわりと涙が滲み、なずなはその体にしがみついた。
恐怖が押し寄せて、なずなの体は、指先まで震えていた。
そんな二人の様子を見て、フウカは安心した様子で目を伏せたが、炎に包まれる自らの腕に目を止めると、その表情は苦々しげに歪んだ。
この場には、春風もやって来ていた。春風はフウカの側に歩み寄ると、その燃える腕に臆する事なく、ぽんとフウカの肩を叩いた。
「助かったよ、でも逃げられたみたいだね」
春風はいつものような、穏やかな口調だ。フウカは何も言わず、ただ視線を俯けている。
「おい、ありゃ氷の結界だったぞ?人目につくかも分かんない場所で、なんて奴なんだ!」
ナツメは、気を失っている純太を抱えたまま、春風に声を掛ける。
人通りの少ないアパートの周辺とはいえ、人が全くいないわけではない。少し離れた場所には住宅もあり、人が通る可能性は十分にある。
「あの氷の結界は、外からじゃ人には見えない。突然、なずな君達が消えたように見えるだけだ。しかも、妖の気配がほとんどしなかった」
だから、フウカを含め、アパートに居た春風達も、家の前で起きてる騒動に気づくのが遅れてしまったのだろう。遅れてごめんねと、春風はなずなに申し訳無さそうに言った。
「いよいよ動き出してきたな。しかも、春風にも気配が分かんないんじゃ、相手は相当な手練れだぞ」
「これが本人の力なら、レイジ君くらいの強者って事になるね。神様の目を欺く訳だから」
春風の言葉に、マリンが首を傾げる。
「そんな妖、早々いないんじゃない?」
「だね。恐らく、そういう力がこめられた道具か何かを使ったんだろう」
「にしても、人ん家の前でやってくれるよなー!俺は結界とか作れないからさ、超焦ったよ、帰ってきたら、なんか閉じ込められてるからさ。咄嗟に殴って割った」
「殴って、割れちゃうんですか?」
ナツメの言葉に、なずなは目を丸くした。
「人間には無理だよ、それが出来たのは妖だから。猫又の爪があるお陰だね。ナツメ君の事も、人が見ていたら、道端で空手やっているように見えただろうね」
「仕方ないだろ!」
噛みつくナツメに、春風は笑い、それからそっとフウカへ目を向ける。
「今は、僕の結界を張ってあるから安心して力が使えるけど、結界がなければ、この腕は今、人目にも見る事が出来る」
フウカは分かっていた様子で目を伏せる。
人目から避ける為の術を心得ている春風やマリンがいたので、彼らは駆けつけてすぐに人目を避ける結界を作ったという。その中では、いくら力を使っても人間には見える事はないし、通りすがりの人が、こちらに意識を向ける事もないという。
けれど、もし先程のように、フウカとなずなしかおらず、咄嗟にあのような状況に陥ったら、フウカは力を使うしかない。ナツメの爪は、フウカにとっては、この燃える腕だ。その場合、この腕を人目から隠す方法はない。
フウカは、片手で自らの燃える腕に触れていく。すると、なぞった場所から炎が消え、いつもの人の腕に戻った。同時に、大きな背中の翼も消えていく。フウカは体が元に戻ると、その手にいつものグローブをはめた。
なずなはその様子を見て、フウカがあのグローブをはめている理由が分かった気がした。
いつだったか、どんな時もグローブをはめている理由を、不用意に触れると危ないからだと、フウカは言っていた。なずなは頷きながらも、本当のところ、その意味が分からないでいたが、あの腕の力を防ぐ為だったのだろう。
「…僕の力を、周囲に晒すのが目的ですね」
どこか自嘲するようにフウカは呟く。
「まだ決まった訳じゃないよ」
「氷の結界には、覚えがあります」
春風の言葉は心を通さず、フウカはなずなの前にやってくると、頭を下げた。そして、なずなとは目を合わす事なく、アパートへ戻ってしまった。
「フウカさん…」
「フウカ君は考えすぎなんだ、もう十分、自分で力をコントロール出来るのに」
やりきれない様子で春風は呟いた。
「…心の傷は、そう簡単に癒えるものではないわ」
マリンは優しく言い、なずなに目を向けた。
「なずちゃん、ひとまず中に戻りましょう」
「ギンジ君ももうすぐ帰ってくるだろうけど、皆を頼んだよ、ナツメ君。少年のケアを頼むね」
春風がナツメに言うと、ナツメも「分かってる」と頷いた。
「僕はちょっと辺りを見てくるよ」
春風そう言って、最後に軽くなずなの頭を撫でると、ふらりと住宅街の方へ向かった。
《続
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