見出し画像

相談支援は「困り感」や「辛さ」に耳を傾ける仕事‼︎

趣味は??と言われたら「読書です」って答えたいって何年も思っていたらここ最近本当に読書好きになってきている、もうすぐ43歳のちゃんさとです。
♯願えば叶う
♯趣味は読書

10年前精神科クリニックのワーカーとして働いていた頃の話。

ある患者さんから「幻聴」や「妄想」などの精神症状で困っているという相談を受けることがありました。

ひとしきり聞いた後に当時のボクは「薬を飲んでますか?」「先生に相談しましたか?」と返していました。今、考えれば当時の自分のやった対応は「それはないよな」って思えるのですが…。

その時はそれが一番適切な対応だと思っていたんです。

確かに妄想や幻聴など陽性症状と呼ばれる症状には医学的なアプローチが必要で、ドクターにお任せする分野だと思います。ドクターの診断の上、服薬治療などが重要であり専門的な判断を仰ぐことは必要不可欠です。

しかし、今振り返ってみるとその対応だけでは患者さんの本当のニーズに応えることができていなかったと感じています。

「妄想」や「幻聴」などの精神症状は、ただ単に医学的な診断や治療のみで解決されるものではないんです。

僕たちはソーシャルワーカーで社会とどう接点を作っていくのか、どう繋いでいくのかが本業となります。

症状はあくまで反応の一つで、僕たちの関わりで大切なのは症状をどうにかすることではなく、大事なのは症状の背景や引き金になった事。

多くの場合、その背景にある深い「困り事」や「辛さ」が存在しています

服薬によって症状は一時的に抑えられたとしても、根本的な問題に対してフォーカスしなければ、本当の意味での効果的な支援はできません。

ほとんどは何かのストレス反応として幻聴などが出現することが多く、利用者さんが抱える困難や苦痛に寄り添い、解決のためのアプローチなど一緒に考えていく姿勢がなければ、信頼関係を築くことだって難しいです。

このあたりは今だからこそわかることで、当時のボクは全く分からなかった。経験不足でなんの打ち手もなかったといえばそれまでですが、恐ろしいのはなんの疑いもなくやっていたという点です。

少なくとも学ぶ過程の中で、症状の裏側にある生活や人間関係などの困り感にどう寄り添うかってことくらいは目にしていたと思います。

でも実体験がなかった。

病院という組織に入ることで、いつしか精神症状に関してなど医学的な部分とされるところは有無を言わさずドクターに言えば良いという考えになっていたんだと思います。

あの未熟すぎる僕に絶望しつつも付き合ってくださった利用者さんには反省しても仕切れないくらいの申し訳なさと感謝の気持ちしかないです。

あれから10年以上が経ち、当時のようなあからさまな対応はないにしても、同じようなことがないかといえば少なからず出ている場面はあるのかもしれない。

でも明らかに以前と違う点はそのこと(医療に繋げるの一択)は方法の一つに過ぎないと理解していることです。

その人が何に困っているのか、何に苦しんでいるのかを理解することが必要です。こういった背景の反応として精神症状がある

例えば、幻聴という症状自体も辛いものですが、その背後には人間関係のトラブルや孤独感、ストレスやトラウマなど、様々な背景があるかもしれないということです。

あれから10年以上が経ち、相談支援専門員としての役割を全うするにあたり改めて自覚しておかなければいけないのは、医療に繋げるのは方法の一つだということ。

もう一つ言うならば、話を聞く際にも自分の解釈や自論を混ぜないってことです。

当然で利用者さんの話をそのまま受け止め、その言葉の中に含まれる真意を理解しようとし続けることも必要だったりします。

精神症状の背景にある困り事や辛さに対してアプローチすることは、その一環です。

そして自身の価値観や今現在の自身のネットワークだけに頼り過ぎないこと。目的は利用者さんの全体的な生活の質を向上させるための支援を提供することにあります。

だからこそ自分もたくさんの価値観に触れ、成長し続けることが大事だということです。やるっきゃないですね。

がんばります。

ではまたー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?