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自由になった気がした

親元を離れて、開放的になったわたしは
車の免許はないにせよ
とても自由に過ごしていました。

パートさんが仕事終わりに
お買い物へ連れて行ってくれたり
歩いて動ける範囲で楽しみを見つけたり。

髪の毛も
思いっきり派手に金髪パーマにしてみたり。

店長には
「いい加減にしろ!」
と、何度も言われたのですが
そもそも我の強いわたしは一切譲らず
ピアスも派手なものを付けて個性を爆発。

しかし、その個性を貫き通した事で
わたしに会いにきてくれる
お客様も増えました。

ある日、外で朝礼をしていると

「今日も頑張れよー!」

と、突如大きな音声が聞こえて振り返ると

通りすがった近所のレッカー会社の社長さんが
車に搭載されているスピーカーから
大声でわたしにエールを送ってくれる
なんてこともありました。

学生時代、あんなに悩んでいた人間関係が
環境を変える事によってこんなにも
変わるものかと。

人間不信になっていた自分は
そこにはもう、いませんでした。

そして、お店の仲間と一丸となって
お店を回していった結果
たった1日で売り上げ100万円を記録した日もありました。
オープンして1年が過ぎても
週末のピークタイムの来客数は落ちる事なく
年間売り上げダントツ1位の店舗として
表彰されました。

頑張るって楽しい。
自由って楽しい。
自分のために生きるのは
こんなにも楽しいものなのか。

そう思っていたわたしのもとへ

「お金を貸して欲しい…」

と、親から連絡がきたのは
家を出てからわずか3ヶ月足らずの事でした。

猫の病院費用

「医者に連れて行きたいんだけど、その費用がない。」

うちにはわたしが
保育園の頃から飼っていた猫がいました。

その猫の耳が腫れてしまい、
病院に連れて行こうにもお金がない…

という事情だったのですが
朝から晩まで働いて、
アパートの敷金・礼金を
会社に分割で返済をしながらの生活。

家賃と光熱費を引いて、
ギリギリの生活だったわたしには、
お金を貸す余裕などありません。

しかし、それでもなんとかして
借りようとする親は、
半ば強引にわたしに会いにきたのです。

働く娘の姿を見に来るわけでもなく
ただ、お金を借りるためだけに。。。

『わたしは永遠に、親からお金を
無心されるのだろうか。。。』

楽しかったそれまでの日常が
まるで夢だったかのように
逃れられない現実を
見せられたような気持ちでした。

それからというもの
毎月お給料日を過ぎると
親から連絡が来るようになりました。

高校生だった弟の教科書を買うお金がない
高校に支払うお金がない
光熱費を払えない…

その都度その都度、私は少ないお給料から
親に仕送りをしました。

その結果
わたしは自分の生活が
できなくなってしまった月もありました。

食べるものを買うお金もなく
困り果てていた時

手を差し伸べてくれたのは
職場の仲間でした。

わたし家の事情を知って
タバコの空き箱に
タバコを分けて入れてくれたり、
お互い様だからと
ご飯を食べに連れて行ってくれたり。
感謝してもしきれませんでした。

反面で、自分の家の事情
で周りを巻き込んでしまったことに
とても申し訳ない気持ちもありました。

そんなある日

「もうこんな生活は嫌だ」

と弟から長い文章のメールが届きました。

働きに行かない父。
夕ご飯はいつも質素で
満足に食事もできない。。。

そのメールには
生活に対しての不安と不満が
書き綴られていました。

“親”という存在に対して
こんなにも情けない、
不甲斐ないものなのかと
わたしの気持ちは爆発してしまい
気づいたら父に電話をかけて
怒鳴り散らしていました。

そして最後に

「私はいつか、一家心中でもするんじゃないか、とても心配」

と言いました。

まさかその一言が、
2年後に現実の出来事になるとも知らずに。。。

しかし、その連絡を最後に
親から
「お金を貸して欲しい」
という連絡が来ることは減りました。

母がペットショップの店長として
就職をしたのです。

実家へ帰ると
病気で売り物になれなかった子や
事情があって飼えなくなってしまった子が
何匹か家にいました。

犬がいることで
少し明るくなった実家。

父も前より
ホテルの送迎バスの仕事が増え
なんとか立て直そうとしているようでした。


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